岸本栄七-盛文館を創設した出版取次業者

岸本栄七-盛文館を創設した出版取次業者

岸本栄七の生涯

岸本栄七の生涯

-岸本栄七の生涯-

岸本栄七は、1851年(嘉永4年)に大阪府堺市で生まれた。幼い頃から読書が好きで、特に歴史書をよく読んでいた。16歳の時に上京して、出版社に就職した。そこで、出版取次の仕事に興味を持ち、1875年(明治8年)に独立して盛文館を創設した。

盛文館は、すぐに東京の有力な出版取次業者となり、岸本栄七は出版業界の重鎮として活躍した。また、彼は出版業界の発展のために尽力し、1895年(明治28年)には出版取次業者の団体である日本出版取次協会を創設した。

岸本栄七は、1923年(大正12年)に72歳で亡くなった。しかし、盛文館は彼の死後も事業を続け、現在では日本最大の出版取次業者となっている。

岸本栄七は、日本の出版業界の発展に大きな貢献をした人物である。彼は、出版取次の仕事を通じて、多くの優れた書籍を世に送り出し、国民の知識向上に尽力した。また、彼は出版業界の団体である日本出版取次協会を創設し、業界の発展に貢献した。

岸本栄七は、日本の出版業界の父と呼ばれるにふさわしい人物である。

盛文館の創設

盛文館の創設

盛文館の創設

岸本栄七は、1892年(明治25年)に盛文館を創設しました。盛文館は、当初は教科書と雑誌の取次店として業務をスタートさせましたが、その後、書籍の出版も手がけるようになりました。盛文館は、日露戦争後の好景気の中で業績を拡大し、1910年(明治43年)には株式会社に改組されました。

盛文館は、1920年(大正9年)に出版部門を独立させ、盛文館書店を設立しました。盛文館書店は、一般向けの書籍の出版を手がけ、多くのベストセラーを世に送り出しました。盛文館書店は、1930年(昭和5年)に盛文館と合併し、盛文館の出版部門となりました。

盛文館は、戦後も業績を伸ばし、1960年(昭和35年)には東京証券取引所に上場しました。盛文館は、1970年(昭和45年)に(株)盛文館書店を分離し、盛文館(株)としました。盛文館(株)は、1980年(昭和55年)に日本出版販売(株)と合併し、株式会社日販となりました。株式会社日販は、現在、日本の最大の出版取次業者となっています。

岸本栄七は、盛文館の創業者として、日本の出版業界の発展に大きく貢献しました。盛文館は、日本の出版業界を代表する企業として、現在も多くの書籍を世に送り出しています。

定価販売の実施

定価販売の実施

定価販売の実施

岸本栄七は、出版取次業を営む盛文館を創設した人物として知られています。彼は、出版物の定価販売を初めて実施した人物としても有名です。

それまでの出版物は、定価が設定されていても、実際には書店が自由に価格を決めて販売していました。そのため、定価よりも高い価格で販売されることも多く、出版社や著者にとって大きな問題となっていました。

岸本栄七は、この問題を解決するために、定価販売を実施することを決意しました。彼は、書店に対して、定価よりも高い価格で出版物を販売することを禁止し、定価を守らなかった書店には取引を停止すると通告しました。

この定価販売の実施は、出版業界に大きな影響を与えました。それまで、定価よりも高い価格で出版物を販売していた書店は、岸本栄七の取引停止を恐れて、定価を守るようになりました。また、定価販売によって、出版社や著者の利益も守られるようになりました。

定価販売の実施は、日本の出版業界の発展に大きく貢献したと評価されています。岸本栄七は、日本の出版業界の近代化に貢献した偉大な人物として、現在でも語り継がれています。

タイトルとURLをコピーしました