昭和後期-平成時代の経営者、青木定雄について

昭和後期-平成時代の経営者、青木定雄について

青木定雄の生い立ちと来日

青木定雄の生い立ちと来日

– 青木定雄の生い立ちと来日

青木定雄は、1938年(昭和13年)3月15日に愛知県名古屋市に生まれた。父は青木常作、母は青木ちよ。常作は、名古屋市中区大須で「青木屋」という豆腐店を営んでいた。定雄は、幼い頃から家業を手伝いながら育った。

1956年(昭和31年)に名古屋市立商業高等学校を卒業後、父が懇意にしていた九州の豆腐製造会社に就職した。しかし、定雄は、豆腐製造の仕事に興味を持てず、会社を辞めて名古屋に戻った。

1958年(昭和33年)に、定雄は、名古屋市の信用金庫に就職した。定雄は、信用金庫の仕事に適性があり、順調に出世していった。しかし、定雄は、信用金庫の仕事に限界を感じ、独立することを決意した。

1965年(昭和40年)に、定雄は、名古屋市中区栄に「青木食品」を創業した。青木食品は、豆腐を製造・販売する会社である。定雄は、青木食品の社長として、積極的な経営を展開した。

1970年(昭和45年)に、青木食品は、名古屋証券取引所第二部に上場した。青木食品は、順調に業績を伸ばし、1975年(昭和50年)には、名古屋証券取引所第一部に昇格した。

1980年(昭和55年)に、定雄は、青木食品の社長を退任し、会長に就任した。定雄は、青木食品の会長として、経営の指導にあたった。

1990年(平成2年)に、定雄は、青木食品の会長を退任した。定雄は、青木食品の創業者として、日本の豆腐業界の発展に貢献した。

ミナミタクシーの創業とエムケイタクシーへの改称

ミナミタクシーの創業とエムケイタクシーへの改称

-ミナミタクシーの創業とエムケイタクシーへの改称-

青木定雄がミナミタクシーを創業したのは、1956年(昭和31年)のこと。当時、大阪のミナミは、飲食店やホテル、映画館などが立ち並ぶ、大阪を代表する繁華街でした。しかし、タクシーの台数は少なく、人々がタクシーを捕まえるのは容易ではありませんでした。

青木定雄は、このミナミのタクシー不足に着目し、ミナミタクシーを創業しました。当初は、中古車で営業を開始しましたが、やがて、事業は軌道に乗り始めました。1960年(昭和35年)には、大阪万博を契機に、タクシーの需要が急増し、ミナミタクシーも大いに恩恵を受けました。

しかし、1970年代に入り、大阪のタクシー業界は、過当競争に陥りました。多くのタクシー会社が乱立し、料金値下げ合戦を繰り広げました。ミナミタクシーもこの競争に巻き込まれ、業績が悪化しました。

そこで、青木定雄は、ミナミタクシーの経営改革に乗り出しました。1980年(昭和55年)、ミナミタクシーをエムケイタクシーに改称し、同時に、タクシーの配車システムを導入しました。配車システムの導入により、タクシーの配車効率が上がり、コスト削減にも成功しました。

また、エムケイタクシーは、企業向けのタクシーサービスにも力を入れるようになりました。企業と契約を結び、その企業の従業員を専用車で送迎するサービスです。このサービスは、企業に好評で、エムケイタクシーの業績は、再び回復に向かいました。

その後、エムケイタクシーは、大阪を拠点に、関西一円に営業エリアを拡大しました。現在では、大阪、兵庫、京都に合計1,000台以上のタクシーを保有する、関西有数のタクシー会社となっています。

タクシー運賃値下げ訴訟での勝利と晩年

タクシー運賃値下げ訴訟での勝利と晩年

-タクシー運賃値下げ訴訟での勝利と晩年-

 1981年、青木定雄は全国ハイヤー・タクシー連合会(全ハ協)の会長に就任した。全ハ協は、全国のハイヤー・タクシー事業者によって構成される業界団体であり、青木は業界のトップに立ったことになる。

 青木が全ハ協の会長に就任した直後、タクシー業界は大きな危機に直面した。1982年、政府はタクシー運賃の引き下げを決定したのである。この決定は、タクシー業界に大きな打撃を与えた。運賃が引き下げられたことで、タクシー事業者の収入が減少したのである。

 青木は、政府の決定に強く反対した。青木は、タクシー運賃の引き下げは、タクシー業界を破綻させるとして、政府に再考を求めた。しかし、政府は青木の訴えを退けた。

 青木は、政府の決定を覆すために、裁判を起こした。青木は、タクシー運賃の引き下げは違法であるとして、国を相手取って訴訟を起こしたのである。

 裁判は、長期にわたって争われた。しかし、最終的に青木は勝利を収めた。裁判所は、タクシー運賃の引き下げは違法であるとして、国の敗訴を言い渡したのである。

 青木の勝利は、タクシー業界に大きな喜びをもたらした。青木は、タクシー業界の救世主として称えられた。

 青木は、1986年に全ハ協の会長を退任した。しかし、その後も青木は、タクシー業界の発展のために尽力した。青木は、タクシー事業者の経営支援を行う財団を設立し、業界の発展に貢献した。

 青木定雄は、2004年に逝去した。享年84歳であった。青木は、タクシー業界の発展に貢献した功績で、勲一等瑞宝章を受章している。

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