– 笑福亭仁鶴

– 笑福亭仁鶴

笑福亭仁鶴の生い立ちと経歴

笑福亭仁鶴の生い立ちと経歴

-笑福亭仁鶴の生い立ちと経歴-

笑福亭仁鶴(しょうふくてい にんかく、1936年12月18日 – 2019年3月8日)は、日本の落語家・タレント。本名、岡本 昭八。大阪府大阪市西成区出身。吉本興業所属。上方落語協会会長、顧問、名誉会長、相談役を歴任。

1936年12月18日、大阪府大阪市西成区で生まれる。1952年に中学卒業後、ミナミのショウボートや千日前のスヰートパラダイスにて「岡本昭八」の芸名で司会やコメディアンとして活動。

1961年、上方落語協会へ移籍し、三代目笑福亭仁鶴の門下で二代目笑福亭仁鶴を襲名。1963年に、大阪市北区中之島にある公会堂(現・大阪府立国際会議場)で開催された『吉本新喜劇まつり』に出演し、三代目桂春団治とともに「仁鶴・春団治の凸凹コンビ」として人気を集める。

1965年に、毎日放送のバラエティ番組『仁鶴・きよし・横山やすしの人生一直線』にレギュラー出演し、人気を博す。また、1967年に放送された『仁鶴・きよし・横山やすしのおもしろ武者修行』では、視聴率40%を獲得するなど、高い視聴率を記録した。

1970年に、東京放送(TBS)系の人気バラエティ番組『ぴったしカン・カン』にレギュラー出演し、全国的な知名度を獲得。1971年には、NHK大河ドラマ『新・平家物語』に平清盛役で出演し、その演技が絶賛される。

1974年に、毎日放送のバラエティ番組『仁鶴・きよし・横山やすしの相性診断』にレギュラー出演し、人気を集める。また、1975年に放送された『仁鶴・きよし・横山やすしの歌と茶の間』では、視聴率30%を獲得するなど、高い視聴率を記録した。

1980年代以降も、テレビ番組への出演や映画への出演など、幅広く活動。1991年には、上方落語協会会長に就任し、上方落語の振興に努める。2002年に、上方落語協会顧問に就任し、2012年に、上方落語協会名誉会長に就任。2019年3月8日、心不全のため死去。82歳没。

桂三枝との上方落語ブーム

桂三枝との上方落語ブーム

– 桂三枝との上方落語ブーム

笑福亭仁鶴と桂三枝は、1970年代から1980年代にかけて、上方落語界を牽引した2大巨頭と呼ばれた。

仁鶴は、1933年に大阪市に生まれ、1951年に桂春団治に入門。1956年に二ツ目昇進、1960年に真打昇進を果たす。仁鶴は、古典落語から新作落語まで幅広い演目を得意とし、また、テレビやラジオなどのメディアでも活躍した。

三枝は、1949年に京都府に生まれ、1966年に桂春団治に入門。1971年に二ツ目昇進、1976年に真打昇進を果たす。三枝は、軽妙洒脱な話芸で人気を博し、また、バラエティ番組などにも多数出演した。

仁鶴と三枝は、1970年代後半から1980年代にかけて、上方落語ブームを巻き起こした。このブームは、テレビやラジオなどのメディアでの露出が増えたこと、また、仁鶴と三枝が若者にも受け入れやすい軽快な話芸を披露したことなどが要因となった。

仁鶴と三枝は、上方落語界に大きな功績を残した。彼らの活躍によって、上方落語は全国的に知られるようになり、多くの若者が上方落語の魅力に気づいた。仁鶴と三枝は、上方落語界のレジェンドとして、今もなお多くの人々に愛され続けている。

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