二世山村若(5世宗家)から山村友五郎(3代)へ

二世山村若(5世宗家)から山村友五郎(3代)へ

大阪芸大卒、6歳で初舞台を踏む

大阪芸大卒、6歳で初舞台を踏む

– 大阪芸大卒、6歳で初舞台を踏む

二世山村若は、1924年(大正13年)に大阪に生まれました。幼い頃から舞踊に興味を持ち、6歳の時に初舞台を踏んでいます。その後、大阪芸術大学に進学し、舞踊を専攻しました。

大学卒業後は、関西を中心に舞踊の舞台に立ち、その才能を高く評価されました。1955年(昭和30年)には、山村若の名跡を襲名し、三世山村若を名乗りました。

山村若は、舞踊の伝統を重んじながらも、新しい舞踊を積極的に取り入れていきました。また、舞踊の普及にも力を注ぎ、全国各地で公演を行いました。

山村若は、1997年(平成9年)に亡くなりましたが、その舞踊は今も多くの人に愛され続けています。

歌舞伎舞踊の復元や維持継承に尽力

歌舞伎舞踊の復元や維持継承に尽力

歌舞伎舞踊の復元や維持継承に尽力

二世山村若(5世宗家)から山村友五郎(3代)へ受け継がれた山村流の伝統は、歌舞伎舞踊の復元や維持継承において大きな役割を果たしてきました。山村友五郎(3代)は、山村流の芸を極めるとともに、歌舞伎舞踊の復元や再演にも力を注ぎました。

山村友五郎(3代)が特に力を入れたのが、歌舞伎舞踊の「型」の復元でした。「型」とは、歌舞伎舞踊において、役者が演じる所作や動きを定めたものです。山村友五郎(3代)は、古文書や絵画、口伝などを調査研究し、失われたり、変化したりしてしまった「型」を復元することに成功しました。

また、山村友五郎(3代)は、歌舞伎舞踊の「振り」の復元にも取り組みました。「振り」とは、歌舞伎舞踊において、役者が舞う際の振り付けのことを指します。山村友五郎(3代)は、古文書や絵画、口伝などを調査研究し、失われたり、変化したりしてしまった「振り」を復元することに成功しました。

山村友五郎(3代)の努力により、歌舞伎舞踊の「型」や「振り」が復元されたことで、歌舞伎舞踊の伝統が維持継承され、その魅力がより多くの人々に伝えられるようになりました。

山村友五郎(3代)は、歌舞伎舞踊の復元や維持継承に尽力した功績を称えられ、1973年に重要無形文化財保持者に認定されました。

山村友五郎(3代)襲名披露公演にて芸術院賞を受賞

山村友五郎(3代)襲名披露公演にて芸術院賞を受賞

# 二世山村若(5世宗家)から山村友五郎(3代)へ

– 山村友五郎(3代)襲名披露公演にて芸術院賞を受賞

2021年11月、山村友五郎(3代)は歌舞伎座で行われた襲名披露公演にて芸術院賞を受賞しました。これは、歌舞伎役者として最高の名誉とされる賞であり、山村友五郎(3代)の芸の高さや功績が認められたものです。

山村友五郎(3代)は、1976年東京都に生まれました。祖父は二世山村若(5世宗家)、父は二代目山村友五郎です。幼い頃から歌舞伎の素養を学び、1991年に初舞台を踏みました。その後、数々の舞台に出演し、若手歌舞伎役者として頭角を現しました。

2016年には、二世山村若(5世宗家)の襲名披露公演で「勸進帳」の弁慶を演じ、大きな喝采を浴びました。そして、2021年11月の襲名披露公演で芸術院賞を受賞し、歌舞伎役者としてトップの座に上り詰めました。

山村友五郎(3代)は、伝統的な歌舞伎を大切にしながらも、新しいことに挑戦する姿勢を併せ持っています。古典演目だけでなく、新作歌舞伎や現代劇にも積極的に出演し、歌舞伎の枠を広げようとしています。

また、山村友五郎(3代)は、歌舞伎の普及活動にも熱心に取り組んでいます。講演会やワークショップなどに出演し、歌舞伎の魅力を多くの人に伝えています。歌舞伎の未来を担う若手歌舞伎役者として、山村友五郎(3代)に期待が集まっています。

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