「成阿(1)」(?-? 南北朝時代の連歌師。救済(ぐさい)の門人。二条良基にみとめられ,永徳3=弘和(こうわ)3年(1383)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や至徳2=元中2年(1385)の石山百韻などに参加。北野千句奉行をつとめた。「菟玖波(つくば)集」に3句がのっている。)

「成阿(1)」(?-? 南北朝時代の連歌師。救済(ぐさい)の門人。二条良基にみとめられ,永徳3=弘和(こうわ)3年(1383)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や至徳2=元中2年(1385)の石山百韻などに参加。北野千句奉行をつとめた。「菟玖波(つくば)集」に3句がのっている。)

南北朝時代の連歌師, 成阿(1)

南北朝時代の連歌師, 成阿(1)

南北朝時代の連歌師, 成阿(1)

成阿(1)は、南北朝時代の連歌師です。救済(ぐさい)の門人で、二条良基に認められ、永徳3=弘和(こうわ)3年(1383)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や至徳2=元中2年(1385)の石山百韻などに参加しました。また、北野千句奉行をつとめました。

成阿(1)の連歌は、繊細で優美な作風で知られています。彼の作品は、菟玖波(つくば)集に3句が収録されています。

成阿(1)の生没年は不詳ですが、南北朝時代を中心に活躍した連歌師として知られています。

二条良基にみとめられ, 成阿(1)

二条良基にみとめられ, 成阿(1)

二条良基にみとめられ, 成阿(1)

成阿(1)は、南北朝時代の連歌師である。救済の門人で、二条良基に認められた。永徳3年(弘和3年、1383年)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や、至徳2年(元中2年、1385年)の石山百韻などに参加した。北野千句奉行も務めた。歌集『菟玖波集』に3句が収められている。

二条良基は、室町時代の公卿・歌人であり、連歌の第一人者であった。応安7年(1374年)には、連歌の会である「新千載和歌集」を撰進し、連歌の隆盛に貢献した。良基は、成阿(1)の才能を見出し、彼を連歌の世界に導いた。

成阿(1)は、良基の指導を受けながら、連歌の技法を磨いていった。そして、永徳3年(弘和3年、1383年)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や、至徳2年(元中2年、1385年)の石山百韻など、名だたる連歌の会に参加するようになった。また、北野千句奉行も務め上げ、連歌師として活躍した。

成阿(1)は、良基に認められたことで、連歌の世界で成功を収めた。彼の業績は、連歌の発展に貢献したといえる。

「菟玖波(つくば)集」に3句がのっている, 成阿(1)

「菟玖波(つくば)集」に3句がのっている, 成阿(1)

-「菟玖波(つくば)集」に3句がのっている-
成阿(1)は、南北朝時代の連歌師です。救済(ぐさい)の門人で、二条良基に認められ、永徳3=弘和(こうわ)3年(1383)の等持院(足利尊氏)忌和漢聯句会や至徳2=元中2年(1385)の石山百韻などに参加しました。また、北野千句奉行をつとめました。

「菟玖波(つくば)集」には3句が掲載されています。

* 「暮れぬれば立てる雲そら 山の端に まとはに月ぞかかるとはしる」
* 「里深き岩根にみえて しづかなる 滝の形ぞ秋の色なる」
* 「末の世のしるしなりける 篠茅(しのかや)の 穂にも実なる この世の秋は」

成阿(1)の句は、自然を詠んだものが多いのが特徴です。また、世の中の無常を詠んだ句もあります。

成阿(1)は、連歌師として活躍しただけでなく、歌人としても活躍しました。彼の和歌は、「新続古今和歌集」に5首が入集されています。

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