承円(1180-1236):鎌倉時代の僧侶

承円(1180-1236):鎌倉時代の僧侶

承円とは?

承円とは?

承円とは?

承円(1180-1236)は鎌倉時代の僧侶。号は長楽。法名は浄土寺の開山「浄土寺空阿弥陀仏」にも通ずる「阿弥陀仏」であった。宋より日本へ浄土宗を伝え、時宗を興した。また、時衆、時宗。時宗は承円から六代目になった一遍を宗祖とする。この一遍こそ「踊り念仏」といい踊りながら念仏を唱えるという行動で名を馳せた僧侶である。その一遍が念仏をおどることの始まりとなったのは承円が念仏を説いていく中で念仏を唱えることに加え念仏を唱えながら踊り出すことがあり、そこに人々が集まり布施をしようとしたことに依ると伝わっている。踊り念仏は一遍の念仏を広める方法として成功し、のちに念仏踊りは江戸時代まで続く人気を得た。また、承円が浄土宗を日本に伝え広めることのきっかけとなったのは法然から弟子として仏法の教えを聞く機会を得たことだという。その後、法然が亡くなった後に承円は法然の教えを広めながら人々に念仏を広めると同時にその教えを広めるための組織、時衆を立ち上げた。この時衆が時宗の始まりである。

承円は、1180年に越前国山本庄(現在の福井県福井市山本町)に生まれ、1236年に京都で亡くなった。承円は、17歳の時に出家し、比叡山で天台宗を学んだ。その後、京都の浄土寺で法然から浄土宗の教えを受け、法然の弟子となった。承円は、法然の死後、浄土宗を広め、時宗を興した。時宗は、踊念仏を特徴とする浄土宗の一派で、鎌倉時代に盛んに流行した。承円は、時宗の開祖として、日本の仏教史に大きな足跡を残した。

承円の経歴と生涯

承円の経歴と生涯

– 承円の経歴と生涯

鎌倉時代初期の僧侶である承円は、1180年に備中国賀陽郡(現在の岡山県岡山市)に生まれたとされています。俗姓は吉備氏といい、父は吉備氏の一族である吉備介吉備重光、母は備中国の豪族である河辺氏の娘であったと伝えられています。

承円は幼い頃から仏教に親しみ、11歳の時に出家して、備中国最古の寺院である円光寺に入門しました。その後、京都の建仁寺で修行を重ね、1205年に宋に渡って、天台宗の祖師である智顗の法系を継ぐ南岳下十四世、宝覚法師の法を嗣ぎました。

1211年に帰国した承円は、翌年に建仁寺の住持に就任し、湛睿の法弟として台宗の復興に尽力しました。また、承円は鎌倉幕府の初代将軍である源頼朝や、2代将軍である源頼家の帰依を受け、鎌倉幕府の庇護のもとで台宗を鎌倉に広めました。

承円は、1223年に建仁寺の住持を辞し、東福寺を開山しました。東福寺は、承円の弟子である円爾弁円によって、中国の宋から伝来した禅宗の思想を導入して禅寺として整備されました。

承円は、その後も天台宗と禅宗の融合を図り、仏教の教えを広く人々に広めるために、各地を巡歴しました。また、承円は、仏教の経典の翻訳や著書を残し、仏教の思想の普及に貢献しました。

1236年に東福寺で示寂した承円は、享年57歳でした。承円は、天台宗と禅宗の融合を図り、仏教の教えを広く人々に広めた鎌倉時代初期を代表する僧侶の一人として知られています。

承円が遺した功績

承円が遺した功績

承円が遺した功績

承円は、鎌倉時代初期の僧侶です。東大寺大仏の再建や、浄土宗の開祖である法然上人の弟子として、仏教界に大きな功績を残しました。

東大寺大仏の再建

承円が最も有名な功績は、東大寺大仏の再建です。東大寺大仏は、奈良時代に造立された巨大な仏像ですが、平安時代の末期に火災で焼失してしまいました。承円は、東大寺大仏の再建を志し、全国を巡って勧進活動を行いました。その結果、多くの寄付が集まり、東大寺大仏は1185年に再建されました。

浄土宗の開祖である法然上人の弟子

承円は、浄土宗の開祖である法然上人の弟子でもありました。承円は、法然上人の教えに深く帰依し、浄土宗の布教に努めました。承円は、浄土宗の寺院である浄土寺を建立し、浄土宗の教えを広めました。

浄土真宗の開祖である親鸞の師匠

承円は、浄土真宗の開祖である親鸞の師匠でもありました。親鸞は、承円から浄土宗の教えを学び、浄土真宗を開きました。承円は、親鸞に大きな影響を与えた人物です。

承円は、鎌倉時代初期の僧侶として、仏教界に大きな功績を残しました。東大寺大仏の再建、浄土宗の布教、浄土真宗の開祖である親鸞の師匠など、承円の功績は多岐にわたります。

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