葦津珍彦 – 昭和・平成を駆け抜けた神道思想家の人生と功績

葦津珍彦 – 昭和・平成を駆け抜けた神道思想家の人生と功績

葦津珍彦の生涯と経歴

葦津珍彦の生涯と経歴

葦津珍彦の生涯と経歴

葦津珍彦は、1900年(明治33年)10月14日に、福岡県朝倉郡永岡村(現・筑前町)に生まれました。幼少期から神道を学び、1924年(大正13年)に東京帝国大学文学部国文学科を首席で卒業しました。卒業後は、東京帝国大学史料編纂所に入り、古事記や日本書紀などの古典籍の研究に従事しました。

1930年(昭和5年)には、東京帝国大学助教授に就任し、1935年(昭和10年)には、教授に昇進しました。この間、神道史や神話学の研究で成果を上げ、1937年(昭和12年)には、日本学士院賞を受賞しました。

1945年(昭和20年)には、東京帝国大学を退官し、翌年には、皇學館大学教授に就任しました。皇學館大学では、神道学科の初代学科長を務め、また、神道史学会の会長や日本神話学会の会長も歴任しました。

葦津珍彦は、1996年(平成8年)12月11日に、96歳で亡くなりました。葦津珍彦は、昭和・平成を駆け抜けた神道思想家であり、神道史や神話学の研究に多大な功績を残しました。

葦津珍彦の主な著作には、次のようなものがあります。

「神道史の研究」(1937年)
「神話学の研究」(1940年)
「日本神話の研究」(1943年)
「神道思想史」(1960年)
「日本神話の成立」(1963年)
「神道史」(1965年)
「神道思想の研究」(1970年)
「日本神話の研究」(1975年)
「神道思想の展開」(1980年)
「日本神話の成立と展開」(1986年)

日独伊三国同盟への反対と神社本庁設立

日独伊三国同盟への反対と神社本庁設立

日独伊三国同盟への反対と神社本庁設立

葦津珍彦は、日中戦争の拡大や日独伊三国同盟への反対運動に関与した。1939年(昭和14年)には、近衛文麿首相に日独伊三国同盟の締結に反対する意見書を提出した。また、1940年(昭和15年)には、神社本庁の設立に尽力した。神社本庁は、全国の神社を包括する組織であり、神道の教義や儀式を統一することを目的としていた。神社本庁の設立は、神道の近代化と国家神道の強化を図るものであった。

葦津珍彦は、神社本庁の初代総長に就任し、神道の普及と強化に努めた。また、戦時中は、政府の戦意高揚政策に協力し、国民に対して神社参拝や軍人への敬意を呼びかけた。しかし、戦後になると、神社本庁はGHQによって解散させられ、葦津珍彦は公職追放処分を受けた。

葦津珍彦は、戦後も神社本庁の再建に尽力し、1952年(昭和27年)に神社本庁が復活すると、再び総長に就任した。その後、神社本庁の運営に携わりながら、神道思想の普及と神社の振興に努めた。1968年(昭和43年)に死去するまで、神社本庁の総長を兼任し、神道界の重鎮として活躍した。

葦津珍彦は、昭和・平成を駆け抜けた神道思想家であり、神社本庁の設立や運営に尽力した功績を残した。また、日中戦争の拡大や日独伊三国同盟に反対するなど、政治的な活動にも関与した。葦津珍彦の人生と功績は、日本の近代史と神道の歴史を考える上で重要な意味を持っている。

思想の科学事件と天皇制支持論

思想の科学事件と天皇制支持論

思想の科学事件と天皇制支持論

葦津珍彦は、1933年(昭和8年)に「思想の科学」事件に連座して逮捕された。この事件は、マルクス主義系の雑誌「思想の科学」に掲載された論文が、治安維持法違反とされたためである。葦津は、この事件で起訴猶予処分となったが、治安当局の監視下に置かれることとなった。

葦津は、この事件をきっかけに、マルクス主義と距離を置くようになった。そして、日本の伝統文化や神道を研究するようになった。葦津は、日本の伝統文化や神道には、日本の国体の本質が表れていると考えていた。そして、日本の国体を護るためには、天皇制を支持することが重要であると考えていた。

葦津は、1941年(昭和16年)に「皇室典範講義」を出版した。この本の中で、葦津は、天皇制が日本の国体の本質であると主張した。そして、天皇制を支持することが、日本人の責務であると説いた。

葦津の天皇制支持論は、当時の政府の政策に合致していた。政府は、国民に天皇制への支持を求めていた。そして、苇津の天皇制支持論は、国民に天皇制への支持を呼びかけるのに役立った。

葦津の天皇制支持論は、戦後も続いた。葦津は、1951年(昭和26年)に「日本の国体」を出版した。この本の中で、葦津は、天皇制が日本の国体の本質であることを改めて主張した。そして、天皇制を支持することが、日本人の責務であると説いた。

葦津の天皇制支持論は、戦後も批判された。しかし、葦津は、天皇制支持論を撤回することはなかった。葦津は、天皇制が日本の国体の本質であるという信念を最後まで貫いた。

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