明日香親王 – 平安時代前期の皇族

明日香親王 – 平安時代前期の皇族

明日香親王の生涯

明日香親王の生涯

-明日香親王の生涯-

明日香親王は、平安時代前期の皇族であった。大皇大后の尊称を得た文徳天皇の第四皇子(異説あり)である。

生年は不詳であるが、天安2年(858年)3月28日に、父である文徳天皇の死後、わずか10歳の時に皇太子となった。しかし、翌天安3年(859年)4月8日に、比叡山延暦寺の僧侶、円仁の密告によって、皇太子を廃され、伊豆国へ流罪となった。理由としては、明日香親王が円仁へ呪詛を加えたため、ということであったが、実際は藤原良房が皇太子としていた源信(のちの清和天皇)を擁立する目的があったとされる。

伊豆へ流罪となった明日香親王は、9年間を配所で過ごした。その間、藤原貞基と藤原元善の援助を受け、兵を集めて、再び皇位を奪還しようとした。しかし、嘉祥3年(850年)12月に、親王の謀反が露見し、捕縛された。

翌天安4年(861年)1月に、明日香親王は斬首された。享年は23歳であった。

明日香親王の子孫

明日香親王の子孫

-明日香親王の子孫-

明日香親王には、長女の源敏子が、宇多天皇の女御となり、醍醐天皇を産んだ。醍醐天皇は、村上天皇、朱雀天皇、村上の異母弟である景固王の息子である冷泉天皇、三条天皇、六条天皇の父となった。

醍醐天皇の同母弟で、村上天皇の異母弟である寛明親王は、村上天皇の皇太子となり、英明親王を儲けたが、村上天皇の死後に冷泉天皇が即位したため、皇太子を廃され、天暦4年(950年)に出家した。寛明親王の子である源雅信は、摂政・関白・太政大臣を歴任した藤原道長の外孫であり、摂政・関白・太政大臣を歴任した藤原頼通・藤原教通の同母弟である。

源雅信の娘である源隆子は、藤原道長の娘である妍子(上東門院)の女房を務め、後一条天皇の乳母となった。源隆子は、後に藤原道長の養女となり、藤原頼宗と結婚して、藤原頼通・藤原教通の同母妹となった。

源雅信の子である源基平は、藤原道長の娘である彰子(一条天皇の皇后・東三条院)の女房を務め、後一条天皇の乳母となった。源基平は、藤原道長・藤原妍子の養女となって藤原道長の養孫となり、藤原頼通・藤原教通の異母妹となった。

源基平の娘である章子(後冷泉天皇の皇后・太皇太后、後三条天皇の母)、延子は、藤原頼通の娘である寛子(後朱雀天皇の皇后・東一条院)の女房を務めた。章子は、藤原頼通の養女となって藤原頼通の猶子となり、藤原教通の異母妹となった。

村上天皇の子である冷泉天皇の異母弟である円融天皇は、花山天皇、三条天皇の異母弟である清仁親王の息子である居貞親王、敦明親王、顕信親王の父となった。居貞親王は、後三条天皇、白河天皇、堀河天皇の父となった。

明日香親王にまつわるエピソード

明日香親王にまつわるエピソード

-明日香親王にまつわるエピソード-

明日香親王は、平安時代前期の皇族であり、光仁天皇の第三皇子でした。在位期間は781年から782年までと短命ながら、その生涯には数々のエピソードが残されています。その中でも有名なエピソードをいくつかご紹介します。

* -藤原薬子の愛人だった-

明日香親王は、藤原薬子の愛人だったとされています。藤原薬子は、平安時代前期の公家で、光仁天皇の皇后・井上内親王の妹でした。薬子は、明日香親王に寵愛を注ぎ、2人の間には子供もいたと言われています。しかし、弘仁14年(822年)に薬子が廃位されたことで、明日香親王との関係も終わりを告げました。

* -桓武天皇に反逆した-

明日香親王は、桓武天皇に反逆したとして、大宰府に流されました。桓武天皇は、明日香親王の異母兄であり、光明皇后の兄・藤原百川の養子でした。桓武天皇は、明日香親王を皇太子にすることを考えていましたが、薬子との関係が露見したことで、その考えを改めました。明日香親王は、これを恨んで桓武天皇に反逆し、大宰府に流されたのです。

* -大宰府で薨去-

明日香親王は大宰府に流された後、薨去しました。薨去の理由は定かではありませんが、病死したと考えられています。明日香親王の薨去は、桓武天皇にとって大きな衝撃を与えました。桓武天皇は、明日香親王の死を深く悲しみ、その死を悼んで歌を詠みました。

明日香親王の生涯は、波乱万丈でした。愛人とのスキャンダル、桓武天皇への反逆、大宰府への流罪など、数々の事件に巻き込まれました。しかし、明日香親王は、それらを乗り越えて生き抜きました。明日香親王の生涯は、平安時代前期の皇族の生きざまを垣間見ることができる貴重な資料です。

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