松平定和 – 江戸時代後期の桑名藩主

松平定和 – 江戸時代後期の桑名藩主

松平定和の生涯

松平定和の生涯

松平定和の生涯

松平定和は、江戸時代後期の桑名藩主です。幼名は春千代、通称は加兵衛、官位は従四位下侍従、筑後守。桑名藩第11代藩主松平忠精の五男として生まれました。

文政8年(1825年)、兄の定永が死去したため、家督を継ぎました。藩政を改革し、財政の再建や人材登用を行いました。また、学問を奨励し、藩校の設立にも尽力しました。

弘化2年(1845年)、幕府の命を受けて上洛し、第12代将軍徳川家慶に拝謁しました。嘉永元年(1848年)、老中水野忠邦の失脚に伴い、幕府の役職を辞しました。

安政元年(1854年)、ペリーが浦賀に来航すると、幕府の命を受けて江戸城に参勤し、ペリーと会見しました。安政2年(1855年)、日米和親条約締結に尽力しました。

安政5年(1858年)、幕府の命令により、京都守護職に就任しました。万延元年(1860年)、桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されると、老中安藤信正を推薦し、幕政の安定を図りました。

文久3年(1863年)、将軍徳川家茂の上洛に随行し、京都に滞在しました。元治元年(1864年)、禁門の変で長州藩が京都を攻撃すると、幕府軍を率いて長州藩を撃退しました。

慶応2年(1866年)、第二次長州征伐の功により、従四位下に昇叙されました。慶応3年(1867年)、王政復古が行われると、桑名藩知事に就任しました。

明治2年(1869年)、版籍奉還が行われ、桑名藩知事を辞任しました。明治4年(1871年)、東京府知事に任命されました。明治10年(1877年)、西南戦争の功により、伯爵に叙爵されました。

明治15年(1882年)、東京府知事を辞任し、隠居しました。明治21年(1888年)、死去しました。享年64歳でした。

松平家の歴史

松平家の歴史

-松平家の歴史-

松平家は、江戸時代後期の桑名藩主である松平定和の祖先であり、日本史上で重要な役割を果たした大名家です。松平家は、平安時代末期に三河国(現在の愛知県東部)で源頼朝に仕えた松平親重を祖とします。親重は、頼朝の奥州征伐や鎌倉幕府の樹立に貢献し、三河国幡豆郡を賜りました。

親重の子孫は、三河国で勢力を拡大し、戦国時代には松平信長(徳川家康)が台頭しました。家康は、桶狭間の戦いで今川義元を破り、三河国を統一しました。その後、家康は織田信長、豊臣秀吉に仕え、関ヶ原の戦いで勝利して江戸幕府を開きました。

江戸時代、松平家は幕府の重臣として栄華を極めました。家康の曾孫である松平忠綱は、桑名藩の初代藩主となり、2代藩主の忠明は、大老に任命されました。忠明の養子である定勝は、第5代藩主となり、子の定和は第6代藩主となりました。

定和は、桑名藩の藩政を改革し、領内の産業振興に努めました。また、定和は蘭学を奨励し、藩校である彰考館を設立しました。彰考館は、日本の蘭学研究の中心地となり、多くの蘭学者を輩出しました。

定和は、1827年に江戸で死去しました。定和の死後、松平家は2代藩主の忠明の弟である忠倶が継ぎましたが、忠倶は1831年に無嗣断絶となりました。松平家の断絶により、桑名藩は幕府の直轄地となりました。

松平家は、鎌倉時代から江戸時代にかけて、日本史上で重要な役割を果たした大名家でした。松平家の歴史は、日本の歴史を理解する上で欠かせないものとなっています。

桑名藩の歴史

桑名藩の歴史

-桑名藩の歴史-

桑名藩は、江戸時代初期に桑名城を居城として成立した藩である。初代藩主は本多重次に与えられた10万石で、その後、加藤嘉明、松平定勝、松平定綱、松平忠明、松平定房、松平定信と続いた。

-桑名藩の歴史年表-

* 1601年 本多重次に10万石を与えられ、桑名藩が成立。
* 1607年 加藤嘉明が桑名藩主となる。
* 1610年 松平定勝が桑名藩主となる。
* 1634年 松平定綱が桑名藩主となる。
* 1680年 松平忠明が桑名藩主となる。
* 1694年 松平定房が桑名藩主となる。
* 1779年 松平定信が桑名藩主となる。
* 1868年 戊辰戦争で桑名藩は新政府軍に敗北。
* 1869年 桑名藩が廃藩となり、桑名県が設置される。
* 1871年 桑名県が廃止され、三重県に編入される。

-桑名藩の歴代藩主-

* 本多重次(10万石)
* 加藤嘉明(10万石)
* 松平定勝(10万石)
* 松平定綱(10万石)
* 松平忠明(7万石)
* 松平定房(7万石)
* 松平定信(7万石)

-桑名藩の産業-

桑名藩は、江戸時代に木曽三川の河口に位置する港町として栄えた。主な産業は、海運業、商業、農業であった。桑名藩の特産品は、桑名焼、桑名雛、桑名紬などである。

-桑名藩の文化-

桑名藩は、江戸時代に多くの文化人が輩出した。代表的な文化人には、儒学者の松平定信、国学者の平田篤胤、歌人の橘曙覧などがあげられる。また、桑名藩は、文楽や歌舞伎などの芸能も盛んであった。

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