榎氏鉢麻呂の生涯と万葉集に遺る歌

榎氏鉢麻呂の生涯と万葉集に遺る歌

奈良時代の官吏・榎氏鉢麻呂

奈良時代の官吏・榎氏鉢麻呂

奈良時代の官吏・榎氏鉢麻呂

榎氏鉢麻呂(えのうじ はちまろ)は、奈良時代の官吏であり、万葉集に数多くの歌を残しました。その生涯と歌については、以下の通りです。

生い立ち

榎氏鉢麻呂は、天平勝宝6年(754年)、美濃国(現在の岐阜県)に生まれました。彼の父は、美濃国守であった榎氏真成で、母は不詳です。鉢麻呂は、幼少期から聡明で、学問に秀でていました。

官吏としての経歴

鉢麻呂は、天平宝字元年(757年)に、14歳の若さで、従五位下、右京亮に任じられました。その後、侍従、右衛門権佐、右衛門佐、右兵衛督、左兵衛督、民部大輔、兵部大輔、刑部大輔、治部卿、右大弁、左大弁、参議、中納言、大納言を歴任しました。

天平宝字5年(761年)には、遣唐使節として唐に渡りました。帰国後は、大学頭、大宰帥を務め、天平神護2年(766年)には、右大臣に任じられました。

万葉集の歌

鉢麻呂は、万葉集に30首の歌を残しました。そのほとんどが、旅の歌であり、その中に、美濃国を詠んだ歌も多く含まれています。

鉢麻呂の歌は、情景描写が細やかで、万葉集の中でも屈指の名歌として知られています。例えば、以下の歌は、美濃国を詠んだものです。

美濃の国 飛騨の国より 越え来れば 馬の首領も 知りけらしも

この歌は、美濃国を越えて飛騨国(現在の岐阜県北部)に行くと、馬の首領もそのことを知っているかのように、いななきながら迎えてくれたという意味です。

鉢麻呂の歌は、彼の官吏としての経歴や、旅の経験を反映したものが多く、その生涯を垣間見ることができます。

鉢麻呂は、延暦16年(797年)に、64歳で亡くなりました。彼の死は、万葉集に大きな影響を与え、その後の和歌の発展に大きな影響を与えました。

大宰帥大伴旅人の宴と「万葉集」

大宰帥大伴旅人の宴と「万葉集」

-大宰帥大伴旅人の宴と「万葉集」-

奈良時代の歌人である大伴旅人は、730年に大宰帥として九州の大宰府に赴任しました。旅人は赴任中に、筑紫の地で多くの歌を詠み、それらの歌は「万葉集」に収められています。旅人が大宰府で催した宴は、特に有名です。この宴には、旅人やその妻、子や孫の他、大宰府の役人や学者、歌人が参加しました。宴では、歌や舞が行われ、旅人はその場で和歌を詠みました。これらの歌は、「万葉集」巻10に収められており、「筑紫歌」と呼ばれています。

旅人の「筑紫歌」は、大宰府での生活や、筑紫の風土や自然を詠んだものが多いです。旅人は筑紫の地を「住みよきところ」と歌い、筑紫の自然の美しさを讃えています。また、旅人は筑紫での生活を振り返って、「わが恋ふる筑紫の国の屋上の池に鳴く蛙の声を聞かぬか」と歌い、筑紫の地への思いを吐露しています。旅人の「筑紫歌」は、大宰府での生活や、筑紫の風土や自然を詠んだもので、旅人の筑紫に対する思いが込められています。

旅人の「筑紫歌」は、「万葉集」の中でも特に有名な歌であり、後世の歌人に大きな影響を与えました。平安時代の歌人である在原業平は、旅人の「筑紫歌」を「万葉集」の中で最も優れた歌であると評しています。また、江戸時代の国学者である本居宣長は、旅人の「筑紫歌」を「万葉集」の中で最も感動的な歌であると評しています。旅人の「筑紫歌」は、「万葉集」の中でも特に有名な歌であり、後世の歌人に大きな影響を与えました。

榎氏鉢麻呂と万葉集の歌

榎氏鉢麻呂と万葉集の歌

榎氏鉢麻呂と万葉集の歌

榎氏鉢麻呂は、奈良時代の貴族・歌人です。万葉集に10首の歌が残されています。

その中でも最も有名なのが、「相聞歌」と呼ばれる恋の歌です。この歌は、鉢麻呂が思いを寄せる女性に贈ったものと考えられています。

「相聞歌」の一首

わが背子が いませし頃には 常に見し 如月の月の 恋しかるらむ

この歌は、鉢麻呂が、旅に出ている妻を恋しく思う気持ちを詠んだものです。月の美しさを恋しい人の姿に重ね合わせ、その人のことを想う気持ちを表現しています。

また、鉢麻呂は、自然を詠んだ歌も残しています。その中でも、春の訪れを詠んだ歌は、特に美しいとされています。

「雑歌」の一首

春の野に すみれ摘みにと 来しものを 我が衣手に 雪は降りつつ

この歌は、鉢麻呂が、春の野にすみれ摘みに行った時のことを詠んだものです。春の野の美しさや、降り積もる雪の冷たさを、鮮やかに表現しています。

鉢麻呂の歌は、万葉集の中でも屈指の名歌として知られています。その歌は、今もなお、多くの人々に愛され続けています。

タイトルとURLをコピーしました