– 伊香王

– 伊香王

敏達天皇の子孫

敏達天皇の子孫

伊香王 – 敏達天皇の子孫

伊香王は、飛鳥時代の皇族。敏達天皇の第2皇子。母は皇后・額田部間人皇女。皇太子の厩戸王(聖徳太子)に代わり、敏達天皇の崩御後に推古天皇即位の直前まで、皇太子として立っていた。

敏達天皇は、日本書紀によると世襲による即位を好み、特に上宮家の血統を深く愛していた。そのため、厩戸王を差し置いて、敏達天皇の同母兄である押坂彦人大兄皇子の子の伊香王を皇太子に立てた。

しかし、伊香王は、厩戸王の政治力を恐れて、皇太子を辞任した。その後、舒明天皇が即位すると、伊香王は再び皇太子に立てられたが、舒明天皇の崩御後に皇太子として立っていた軽皇子(後の皇極天皇)に代わり、皇位を継承した。

伊香王は、在位中に、冠位十二階を制定し、氏姓制度を確立した。また、飛鳥寺を建立し、仏教の普及を図った。

伊香王は、在位中に、娘の田村皇女が、舒明天皇の皇子である古人大兄皇子(後の孝徳天皇)と結婚した。田村皇女は、孝徳天皇との間に、中大兄皇子(後の天智天皇)と、天智天皇の娘である鸕野讚良皇女(後の斉明天皇)を産んだ。

伊香王は、645年に崩御した。享年58。陵墓は、奈良県明日香村にある檜隈大内陵。

伊香王の子孫は、平安時代後期に村上天皇から分かれてできた一条天皇の皇統である。一条天皇の直系は、明治天皇まで続いた。

伊香王の子孫は、現在も皇室の一族として存続している。

主税頭・越中守を歴任

主税頭・越中守を歴任

— 伊香王

–# 主税頭・越中守を歴任

伊香王(いかがおお)は、平安時代後期の公卿・歌人。伊香氏(諫言氏)の一族。藤原忠晴の子。官位は正四位下・越中守。

伊香王は、藤原忠晴の子として誕生。母は、藤原兼頼の女。同母兄弟には、伊香家継がいる。

伊香王は、藤原忠通に仕えて、1133年(長承2年)に主税頭、仁平元年(1151年)に越中守に任じられた。また、1152年(久寿2年)には、正四位下まで昇進した。

伊香王は、歌人としても知られ、『後拾遺和歌集』に2首の歌が採録されている。

伊香王は、1162年(永万元年)に死去した。享年62。

伊香王の主税頭・越中守への任命は、藤原忠通の厚い信任があったものと考えられる。また、伊香王の歌が『後拾遺和歌集』に採録されていることは、伊香王が歌人として一定の評価を得ていたことを示している。

大伴家持と親交

大伴家持と親交

-# 大伴家持と親交

伊香王は、奈良時代の歌人で、万葉集に11首の歌を残している。大伴家持とは親交があり、家持の歌に伊香王を詠んだものがある。

家持が伊香王を初めて出会ったのは、天平19年(747年)である。家持が下総守として赴任すると、伊香王は家持の館に訪ねてきた。二人は意気投合し、すぐに親友となった。

家持と伊香王は、お互いの歌を贈り合ったり、歌会を催したりして、親交を深めていった。家持は伊香王を「伊香の友」と呼んで慕い、伊香王も家持を「家持の友」と呼んで敬愛していた。

家持が伊香王を詠んだ歌は、万葉集の巻19に収められている。その歌は、伊香王の死を悼んで詠まれたものであり、家持の伊香王に対する深い愛情が伝わってくる。

家持と伊香王の親交は、日本の文学史上においても重要な意味を持っている。二人は万葉集に多くの優れた歌を残しており、その歌は後世の歌人に大きな影響を与えた。また、二人の親交は、友情の大切さを教えてくれるものである。

タイトルとURLをコピーしました