九条良平 – 鎌倉時代の公卿

九条良平 – 鎌倉時代の公卿

生涯

生涯

-生涯-

九条良平は、鎌倉時代の公卿です。九条家16代当主。九条道家の子。母は坊門信清の娘・姫君。九条教実、九条良経、九条良輔、洞院実雄、平賀教房、九条道家、九条忠教、九条教時、大炊御門実経、九条兼実、九条良通、九条良嗣、九条良基、九条光経の父。

建久6年(1195年)、九条道家の長男として京都に生まれる。正治2年(1200年)元服。建仁4年(1204年)、侍従。元久元年(1204年)、右近衛権少将。建永元年(1206年)、従四位下。建永2年(1207年)、右少将。

建永2年(1207年)、正四位下、加賀守。承元元年(1207年)、左近衛少将。承元4年(1210年)、従三位。建暦3年(1213年)、正三位、左近衛権中将。建保4年(1216年)、従二位。建保6年(1218年)、正二位、左近衛中将。建保7年(1219年)、権大納言。承久2年(1220年)、内大臣、中納言兼任。

承久3年(1221年)、内大臣、中納言辞任。元仁2年(1225年)、太政大臣。寛喜2年(1230年)、右大臣、太政大臣兼任。貞永元年(1232年)、左大臣。天福元年(1233年)、内大臣、右大臣、左大臣兼任。天福2年(1234年)、内大臣、太政大臣、右大臣、左大臣兼任。文暦2年(1235年)、内大臣辞任。

文暦2年(1235年)、太政大臣、右大臣、左大臣兼任。嘉禎元年(1235年)、右大臣、左大臣辞任。嘉禎2年(1236年)、内大臣辞任。嘉禎3年(1237年)、太政大臣辞任。嘉禎4年(1238年)、薨去。享年44。

官歴

官歴

-官歴-

九条良平は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿です。右大臣・九条兼実の三男として生まれ、九条良経、九条良通、九条良輔、九条教実、九条良忠の兄弟がいます。

良平は、建保5年(1217年)に13歳で従五位下に叙され、建保7年(1219年)に左近衛少将に任じられます。建保8年(1220年)には正五位下、同年には従四位下に叙され、建保9年(1221年)には左近衛中将に任じられます。貞応元年(1222年)には従三位、嘉禄2年(1226年)には正三位に叙され、安貞2年(1228年)には権中納言に任じられます。寛喜2年(1230年)には権大納言に任じられ、貞永元年(1232年)には正二位に叙されます。

貞永2年(1233年)には内大臣に任じられ、天福2年(1234年)には右大臣に任じられます。文暦元年(1235年)には従一位に叙され、文暦2年(1236年)には左大臣に任じられます。建長3年(1251年)に薨去するまで、左大臣の地位にありました。

良平は、鎌倉時代初期に活躍した公卿であり、九条家の家督を継いで内大臣、右大臣、左大臣を歴任しました。また、和歌の才能にも恵まれており、勅撰和歌集『新勅撰和歌集』に11首が入集しています。

和歌

和歌

和歌

九条良平は、鎌倉時代の公卿であり、歌人としても活躍しました。彼の和歌は、当時の歌壇で高い評価を受け、勅撰和歌集にも多く入集しています。

良平の和歌の特徴は、優美で典雅な作風にあります。彼は、自然の美しさや人生の無常を、繊細な言葉で表現しています。また、彼の和歌には、強い教訓や人生観が込められており、多くの読者に共感を与えました。

良平の代表的な和歌として、以下のものが挙げられます。

* 「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
* 「世の中は常なきものと知るものを憂しとてのみ思ひ乱るる」
* 「過ぎにし方を思ひいでては今更に悔しきことも多かりけるかな」

これらの和歌は、いずれも人生の無常や憂いについて詠んだものであり、良平の深い人生観が垣間見えます。

良平の和歌は、鎌倉時代の和歌を代表する作品として、今日でも高く評価されています。彼の和歌は、多くの読者に親しまれ、人々の心に感動を与え続けています。

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