「井草孫三郎」(⇒歌川国芳(うたがわ-くによし))について

「井草孫三郎」(⇒歌川国芳(うたがわ-くによし))について

井草孫三郎とは?-歌川国芳との関係

井草孫三郎とは?-歌川国芳との関係

-井草孫三郎とは?-歌川国芳との関係-

井草孫三郎(いぐさ-まごさぶろう)は、江戸幕末の戯作者、浮世絵師である。本名は井草乾(いぐさ けん)。通称は井草直七郎(いぐさ なおしちろう)。別号に井草直七(いぐさ なおしち)、直七楼(なおしちろう)、直七楼随駕(なおしちろう-ずいか)などがある。

井草孫三郎は、1804年(享和4年)に江戸の本所(現在の墨田区)に生まれた。父は井草直七郎(いぐさ なおしちろう)。母は井草直七郎の妻。孫三郎は、幼い頃から絵を描くことが好きだったようで、10代の頃には浮世絵師の歌川国芳(うたがわ-くによし)に入門し、絵を学んだ。

孫三郎は、国芳の門下生の中でも特に才能を発揮し、早くから頭角を現した。1820年(文政3年)には、国芳の読本『絵本太功記』の挿絵を担当し、その才能を世に知らしめた。その後も、国芳の読本や浮世絵の挿絵を数多く手がけ、人気を博した。

1830年(天保元年)に、孫三郎は国芳から独立し、独自の絵師として活動を開始した。孫三郎は、国芳と同様に、武者絵や役者絵を得意としたが、それ以外にも、美人画や風景画など、さまざまなジャンルの絵を描いた。孫三郎の絵は、国芳の絵よりも線のタッチが柔らかで、繊細な美しさを備えている。

孫三郎は、1838年(天保9年)に35歳の若さで亡くなった。孫三郎は、短い生涯の中で多くの作品を残し、浮世絵界に大きな足跡を残した。孫三郎の作品は、現在も多くの美術館や博物館に所蔵されており、人々から愛され続けている。

孫三郎と国芳の関係は、師弟関係だけではなく、個人的な親交もあった。孫三郎は、国芳を「師匠」と呼び、国芳も孫三郎を「弟子」として可愛がっていた。国芳は、孫三郎が亡くなった後も、孫三郎の遺族を助けており、その関係は孫三郎の死後も続いた。

歌川国芳の経歴と代表作

歌川国芳の経歴と代表作

-歌川国芳の経歴と代表作-

歌川国芳(1797-1861)は、江戸時代後期の浮世絵師です。歌川豊国の門人で、本名は井草孫三郎。江戸(現在の東京都)で生まれました。

国芳は1811年に豊国の門人となり、浮世絵師としての道を歩み始めます。1814年には初作となる「東海道五十三次之内・品川」を発表し、1818年には「相馬の古内裏」で人気を博しました。

国芳は武者絵や美人画を得意とし、特に武者絵は「国芳武者絵」と呼ばれて人気を博しました。その代表作には、「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」(1827-1830)、「忠臣蔵」(1847-1848)、「絵本太閤記」(1848-1850)などがあります。

国芳はまた、浮世絵の革新にも貢献しました。彼は伝統的な浮世絵の技法に加えて、西洋の遠近法や写実を取り入れ、新しい浮世絵のスタイルを確立しました。

国芳は1861年に65歳で亡くなりましたが、その作品は現在でも高く評価されています。彼の作品は、日本の浮世絵の歴史において重要な位置を占めています。

-代表作-

* 「通俗水滸伝豪傑百八人之一個」(1827-1830)
* 「忠臣蔵」(1847-1848)
* 「絵本太閤記」(1848-1850)
* 「東海道五十三次之内・品川」(1814)
* 「相馬の古内裏」(1818)

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