人名辞典-「裏松 光世」

人名辞典-「裏松 光世」

裏松 光世の生涯

裏松 光世の生涯

-裏松 光世の生涯-

裏松 光世(うらまつ みつよ、1859年12月14日 – 1940年1月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍大将。

1859年(安政6年)12月14日、薩摩国鹿児島城下西田町(現在の鹿児島県鹿児島市西田町)に、裏松光福、光加の長男として生まれる。1877年(明治10年)9月、海軍兵学校(第7期)を卒業し、海軍少尉候補生となる。1878年(明治11年)12月、海軍少尉に任官する。1881年(明治14年)12月、海軍中尉に昇進する。

1883年(明治16年)12月、海軍兵学校教官に就任する。1885年(明治18年)12月、フランス公使館付武官に就任する。1889年(明治22年)12月、海軍少佐に昇進する。1890年(明治23年)12月、海軍大佐に昇進する。1892年(明治25年)12月、海軍兵学校校長に就任する。

1894年(明治27年)7月、日清戦争勃発。裏松は連合艦隊参謀として従軍する。1895年(明治28年)3月、連合艦隊参謀長に就任する。1896年(明治29年)12月、海軍少将に昇進する。1897年(明治30年)12月、海軍中将に昇進する。1900年(明治33年)12月、横須賀鎮守府司令長官に就任する。

1903年(明治36年)12月、海軍大将に昇進する。1904年(明治37年)2月、日露戦争勃発。裏松は連合艦隊司令長官として従軍する。1905年(明治38年)9月、連合艦隊司令長官を辞任する。1906年(明治39年)2月、予備役に編入される。

1910年(明治43年)12月、退役する。1940年(昭和15年)1月28日、東京府東京市淀橋区角筈(現在の東京都新宿区西新宿)の自宅で死去した。享年80。

宝暦事件への連座と蟄居

宝暦事件への連座と蟄居

– 宝暦事件への連座と蟄居

宝暦13年(1763)に勃発した宝暦事件は、裏松光世の人生に大きな影響を与えた。この事件は、当時の老中・松平定信が、幕府の財政改革を推し進めるために、奢侈を禁じる倹約令を発布したことから始まった。倹約令は、庶民だけでなく、武士や公家にも大きな影響を与え、反対運動が起きた。

裏松光世も、倹約令に反対する運動に加わった。彼は、松平定信の政策を批判する文章を書き、幕府に提出した。また、彼は、倹約令に反対する運動を組織し、多くの武士や公家が参加した。

しかし、幕府は、倹約令に反対する運動を厳しく弾圧した。裏松光世も、幕府に逮捕され、蟄居を命じられた。蟄居とは、江戸から一定の距離を離れた場所に居住することを命じられ、江戸には戻れなくなる処分である。

裏松光世は、蟄居中に、多くの和歌を詠んだ。彼の和歌は、蟄居の苦しみや、松平定信の政策に対する批判などが込められている。また、彼は、蟄居中に、多くの書物を著した。彼の著書は、江戸時代の政治や文化について、貴重な資料となっている。

裏松光世は、18年間の蟄居生活の末、宝暦事件が発生した20年後の天明3年(1783)にようやく赦免され、江戸に戻ることが許された。しかし、彼はすでに70歳を過ぎており、すぐに隠居した。そして、天明6年(1786)に83歳で亡くなった。

「大内裏図考証」の完成と内裏の再興

「大内裏図考証」の完成と内裏の再興

-大内裏図考証-

大内裏図考証とは、宮中の儀式や建物の配置を解説した書物です。裏松光世は、この大内裏図考証の完成に尽力しました。大内裏は、京都御所のことで、天皇の住居であり、朝廷の政治の中心地でした。

平安時代から鎌倉時代にかけて、大内裏は何度も火災や戦乱で焼失しました。そのため、江戸時代には、大内裏の再建が計画されました。しかし、大内裏の再建には、莫大な費用がかかりました。そこで、裏松光世は、大内裏の図考証を作成し、朝廷に再建の必要性を訴えました。

裏松光世は、大内裏の図考証を作成するために、膨大な資料を調査しました。そして、大内裏の建物の配置や儀式の様子を詳細に記録しました。これにより、裏松光世は、大内裏の再建に成功しました。

大内裏図考証は、大内裏の再建に大きな役割を果たしただけでなく、宮中の儀式や建物の配置を知るための貴重な資料となっています。また、裏松光世の学識の高さを示すものとしても知られています。

-内裏の再興-

裏松光世が、大内裏図考証を完成させた後、朝廷は、大内裏の再建に着手しました。大内裏の再建は、江戸時代初期に開始され、約30年の歳月をかけて完成しました。

再建された大内裏は、平安時代の大内裏を模したもので、天皇の住居や朝廷の政治の中心地として使用されました。大内裏の再建は、朝廷の権威回復に大きな役割を果たしました。

しかし、明治時代になると、大内裏は、取り壊されました。現在、大内裏の跡地には、京都御所が建っています。京都御所は、天皇の住居として使用されており、朝廷の政治の中心地となっています。

裏松光世の大内裏図考証は、大内裏の再建に大きな役割を果たしました。また、宮中の儀式や建物の配置を知るための貴重な資料となっています。

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