上矢敲氷 – 江戸時代中期から後期の俳人

上矢敲氷 – 江戸時代中期から後期の俳人

上矢敲氷の生涯

上矢敲氷の生涯

– 上矢敲氷の生涯

上矢 敲氷(うわや こうひょう、1702年(元禄15年)- 1792年12月9日(寛政4年10月29日))は、江戸時代中期から後期の俳人。本姓は村越。幼名は寛太郎。字は子智・子知。通称は市蔵、八蔵。号ははじめ万留屋、のち敲氷に改めた。

小倉に生まれ、1720年(享保5年)に京都に出て医師村越玄益の門に入り、医術を学ぶ。その後、俳諧に転じ、宗匠となって西山宗因を称した。1734年(享保19年)には江戸に出て、幕臣の安藤為重の知遇を得る。1742年(寛保2年)には江戸で俳諧結社「曠野社」を設立し、翌年には俳書「曠野集」を刊行した。

1754年(宝暦4年)には、俳諧結社「月並句合」の総裁に就任した。同年に、当時の将軍徳川家重の命で、江戸城で俳諧の会を催した。1765年(明和2年)には、浅草寺で俳諧の大会である「芭蕉忌」を催した。1770年(明和7年)には、俳諧結社「花蓑社」を設立し、翌年には俳書「花蓑集」を刊行した。

1781年(天明元年)には、俳諧結社「独吟社」を設立し、翌年には俳書「独吟集」を刊行した。1783年(天明3年)には、幕府から「俳諧宗匠」の称号を授与された。1792年(寛政4年)に91歳で死去した。

上矢敲氷は、江戸時代中期から後期の俳壇を代表する俳人であり、多くの俳人を輩出した。その作風は、洒脱で軽妙なものが多く、庶民の間にも広く親しまれた。

上矢敲氷の代表句としては、以下の句が挙げられる。

* 「霜枯れや駒と枕をならべ置く」
* 「夏草や兵どもが夢の跡」
* 「雪とけて村一生の屎尿かな」
* 「花曇りかすかに見ゆる富士山」
* 「朝ぼらけ野分は庭に風の音」

これらの句は、いずれも日本の自然の美しさと無常観を詠んだものであり、上矢敲氷の俳句の特色をよく表している。

上矢敲氷の俳句

上矢敲氷の俳句

上矢敲氷の俳句

上矢敲氷(うえやこうひょう)は、江戸時代中期から後期の俳人です。本名は上矢吉兵衛といい、号は敲氷、風来軒、松風などがあります。上総国夷隅郡勝浦村(現在の千葉県勝浦市)に生まれ、江戸で活躍しました。

敲氷の俳句は、写生を重んじた蕉風俳諧に属し、江戸の庶民生活や自然を詠んだ句が多く見られます。また、滑稽や諷刺を交えたユーモラスな句も得意としました。

敲氷の代表的な句には、

「春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉」
「冬の海 波の音のみぞする声」
「秋の暮 るるるるるるる夜寒かな」
「蚤(のみ)一つ 夜着(よぎ)に這うて 何思ふ」
「目をつぶれば 明くはまた夢 花盛り」

などがあります。

「春の海 終日(ひねもす)のたりのたり哉」は、春の穏やかな海を詠んだ句です。「たりんたりん」という擬音語が、波の音や海の広がりを表現しています。

「冬の海 波の音のみぞする声」は、冬の荒れた海を詠んだ句です。「波の音のみぞ」と、冬の海の厳しさを強調しています。

「秋の暮 るるるるるるる夜寒かな」は、秋の夕暮れの寒さを詠んだ句です。「る」の繰り返しによって、寒さが強調されています。

「蚤(のみ)一つ 夜着(よぎ)に這うて 何思ふ」は、蚤が夜着を這う様子を詠んだ句です。蚤の小さな動きをユーモラスに表現しています。

「目をつぶれば 明くはまた夢 花盛り」は、夢と現実の境界を詠んだ句です。目をつぶると夢の世界に入り、目を開けると現実の世界に戻ってくる。その繰り返しが、人生の儚さを暗示しています。

敲氷の俳句は、写生を重んじ、江戸の庶民生活や自然を詠んだ句が多く見られます。また、滑稽や諷刺を交えたユーモラスな句も得意とし、その句風は江戸の人々に親しまれました。

上矢敲氷の編著

上矢敲氷の編著

-上矢敲氷の編著-

上矢敲氷の編著として『鼬(いたち)の栖(すみか)』(1736年)がある。この句集は、敲氷が活躍していた江戶時代中期の俳壇を代表する俳人である松尾芭蕉、正岡子規、与謝蕪村の句を収録したもので、俳諧の入門書としても広く活用されていた。

『鼬の栖』には、敲氷の師匠である仁右衛門の句も含めて、約2000句が収録されている。句の配列は、季節順ではなく、発想の共通性や掛詞、縁語などの言葉遊び的な要素を重視して行われている。これは、敲氷が俳諧を単なる韻律的な遊びではなく、言葉の持つ意味や響きを味わう芸術として捉えていたことを示している。

『鼬の栖』は、俳諧の入門書としてはもちろん、日本の俳諧史を研究する上でも貴重な資料となっている。敲氷は、この句集の中で、俳諧の美意識や技法について論じているが、その内容は、現代の俳諧にも通じる普遍的なものであり、現代の俳人からも高く評価されている。

『鼬の栖』は、僅か100部しか出版されなかったため、現存するものは非常に少ない。しかし、その価値は高く評価されており、現在では入手困難なコレクターズアイテムとなっている。

『鼬の栖』のほかに、敲氷は『泊船日誌』(1744年)、『春の苔』(1750年)、『幽霊賦』(1754年)などの句集を編著している。また、随筆集『敲氷随録』(1760年)も残している。

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