阪本牙城 – 大正から昭和にかけて活躍した風刺漫画家

阪本牙城 – 大正から昭和にかけて活躍した風刺漫画家

風刺漫画家としての足跡

風刺漫画家としての足跡

風刺漫画家としての足跡

阪本牙城は、大正から昭和にかけて活躍した風刺漫画家です。その風刺漫画は、当時の社会情勢を鋭く切り取り、人々に強いインパクトを与えました。牙城は、1897年に大阪で生まれ、1927年に東京美術学校を卒業しました。卒業後は、新聞や雑誌に風刺漫画を寄稿し、その才能を認められました。

1931年には、牙城は「漫画新聞」を創刊しました。「漫画新聞」は、政治や社会問題を風刺した漫画を掲載する新聞で、当時の知識層に大きな影響を与えました。牙城の風刺漫画は、権力者を容赦なく批判し、社会の不条理を鋭くえぐり出しました。

牙城の風刺漫画は、しばしば当局の弾圧を受けました。1933年には、「漫画新聞」が当局に発行禁止処分を受け、牙城も逮捕されました。しかし、牙城は諦めずに風刺漫画を描き続け、権力者や社会の不条理に立ち向かいました。

戦後は、牙城は「朝日新聞」の漫画家として活躍しました。牙城の風刺漫画は、戦後の混乱した社会情勢を鋭く切り取り、人々に強い衝撃を与えました。牙城の風刺漫画は、日本の民主主義の発展に大きな貢献をしました。

牙城は、1974年に77歳で亡くなりました。しかし、彼の風刺漫画は、今もなお人々から愛され続けています。牙城の風刺漫画は、日本の漫画史に大きな足跡を残しており、その功績は後世に語り継がれるでしょう。

人気の作品「タンク・タンクロー」

人気の作品「タンク・タンクロー」

-タンク・タンクローユーモアと風刺で日本の政治を表現-

大正から昭和にかけて活躍した風刺漫画家、阪本牙城。その人気の作品の一つに「タンク・タンクロー」がある。この作品は、当時日本の政治を象徴していた田中義一首相を風刺したもので、そのユーモアと風刺は多くの読者を魅了した。

「タンク・タンクロー」は、1929年に新聞に連載された漫画で、田中義一首相が戦車に乗って、民衆を弾圧する姿を描いている。戦車に乗った田中首相は、まるで鉄の塊のように無表情で、民衆は戦車に轢かれたり、銃で撃たれたりして、無残な姿を晒している。

この作品は、田中首相の強引な政治手法を皮肉っており、そのユーモアと風刺は多くの読者に受け入れられた。また、この作品は、日本の政治を風刺した漫画の先駆けとして、その後の日本の漫画界に大きな影響を与えた。

阪本牙城は、この作品以外にも、多くの風刺漫画を描いており、そのユーモアと風刺は、日本の政治や社会を鋭く批判している。阪本牙城の風刺漫画は、大正から昭和にかけての日本の政治や社会を知るための貴重な資料であり、その作品は、現在も多くの漫画ファンに愛されている。

本名とその他の作品

本名とその他の作品

– 本名とその他の作品

阪本牙城の本名は阪本章一。1897年(明治30年)1月14日、奈良県大和郡山市で生まれた。旧制郡山中学校卒業後、1919年 (大正8年)に上京。竹久夢二主宰の「クロト」に参加し、漫画家としての道を歩み始める。

若くからその才能を認められ、1921年(大正10年)には「時事新報」に政治諷刺漫画「歯車」を連載。以降、風刺漫画家として活躍する。

1922年(大正11年)に雑誌「我等」に連載した「街の燈」は、大正デモクラシーの風潮を反映した作品として高く評価された。また、1924年(大正13年)に出版した画集「街の燈」 は、日本初の風刺漫画画集として大きな反響を呼んだ。

その後も、東京日日新聞、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞など、数多くの新聞や雑誌に作品を発表。社会問題や政治問題を鋭く批判する風刺漫画で、当時の庶民の生活や社会の様子を描いた。

代表作には、「街の燈」「歯車」「風刺画集」などがある。また、漫画の指導者として多くの弟子を育てた。

1975年(昭和50年)11月26日、東京都で死去。享年78歳。

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