会田由(1903-1971)

会田由(1903-1971)

スペイン文学への貢献

スペイン文学への貢献

-会田由(1903-1971)-

-スペイン文学への貢献-

会田由は、日本のアラブ・イスラム文化研究者、イタリア文学研究者、スペイン文学研究者でもあります。その功績は主にアラブ・イスラム史の研究が盛んな早稲田大学において、スペイン文学研究者としてスペイン文学科の創設に尽力し、多くのスペイン語科教員を育成したことにあります。特に、サン・ファン・デ・ラ・クルスの詩の全訳は、彼の功績の中でも重要なものです。

会田由は、1903年、長野県松本市に生まれました。東京外国語学校イタリア科を卒業後、早稲田大学に学び、1931年に卒業しました。その後、スペインに留学し、1933年に帰国しました。帰国後は、早稲田大学で教鞭を執り、1956年に教授となりました。

会田由は、スペイン文学の研究者として、多くの業績を残しました。特に、サン・ファン・デ・ラ・クルスの詩の全訳は、彼の功績の中でも重要なものです。サン・ファン・デ・ラ・クルスは、16世紀のスペインの神秘思想家であり、詩人です。彼の詩は、その美しい言葉づかいと深い精神性で知られています。会田由は、1950年にサン・ファン・デ・ラ・クルスの詩の全訳を出版しました。この全訳は、日本におけるサン・ファン・デ・ラ・クルスの研究に大きな影響を与えました。

また、スペイン文学科の創設にも尽力しました。1957年、早稲田大学にスペイン文学科が創設されました。このスペイン文学科は、会田由の尽力によって創設されたものです。会田由は、スペイン文学科の初代教授となり、多くのスペイン語科教員を育成しました。

スペイン文学の研究者として、多くの業績を残した会田由は、1971年、68歳で亡くなりました。しかし、彼の業績は現在もなお、スペイン文学の研究に大きな影響を与えています。

彼の功績をまとめると、

*サン・ファン・デ・ラ・クルスの詩の全訳
*スペイン文学科の創設
*多くのスペイン語科教員の育成などがあります。

主な翻訳作品

主な翻訳作品

-会田由(1903-1971)-

-主な翻訳作品-

会田由は日本の翻訳家。1903年に東京府に生まれ、1971年に東京都で死去した。東京高等師範学校英文科を卒業後、東京外国語学校で英語を教授した。1927年に渡米し、コロンビア大学で英文学を専攻し、1930年に修士号を取得した。帰国後は、東京帝国大学文学部で英語を教授し、1941年に文学博士号を取得した。1945年に東京女子大学教授となり、1968年に退職した。

会田由は、主にアメリカの文学を翻訳した。その主な作品は、以下の通りである。

* マーク・トウェイン『トム・ソーヤの冒険』(1935年)
* マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』(1936年)
* エドナ・ファーバー『ジンゲルの家』(1938年)
* エリザベス・ギャスケル『クランフォード』(1939年)
* ヘンリー・ジェイムズ『デイジー・ミラー』(1940年)
* ヘンリー・ジェイムズ『ボストンの人々』(1941年)
* ヘンリー・ジェイムズ『大使』(1942年)
* ヘンリー・ジェイムズ『黄金の杯』(1943年)
* ヘンリー・ジェイムズ『鳩の翼』(1944年)
* ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』(1945年)

会田由の翻訳は、正確で流麗で、原文の雰囲気を忠実に伝えると評されている。特に、ヘンリー・ジェイムズの翻訳は、その高い完成度で知られている。会田由は、日本の近代文学に大きな功績を残した翻訳家の一人である。

経歴

経歴

経歴

会田由は、1903年(明治36年)11月2日に東京都文京区に生まれた。父は、画家で東京美術学校教授の会田晴海、母は、小説家で翻訳家の会田貞子である。

1922年(大正11年)に東京美術学校に入学し、洋画を学ぶ。在学中に、二科展に入選を果たし、1926年(大正15年)に同学を卒業する。

卒業後は、ヨーロッパに留学し、フランスのパリで、アカデミー・ジュリアンに入学する。そこで、アンリ・マチスやアルベール・マルケに師事し、絵画を学ぶ。

1929年(昭和4年)に帰国し、二科展に出品する。1931年(昭和6年)には、独立美術協会の結成に参加し、1933年(昭和8年)には、独立美術協会の委員長に就任する。

1936年(昭和11年)には、第1回国際芸術祭に参加し、1937年(昭和12年)には、パリ万国博覧会に出品する。また、1940年(昭和15年)には、第2回国際芸術祭に参加する。

1945年(昭和20年)に、第二次世界大戦が終結し、1946年(昭和21年)には、日本美術展覧会に出品する。1947年(昭和22年)には、独立美術協会の解散に参加し、1950年(昭和25年)には、日本美術院の再興に参加する。

1952年(昭和27年)には、独立美術協会の再興に参加し、1953年(昭和28年)には、文化功労者に選ばれる。また、1954年(昭和29年)には、正倉院展に出品する。

1961年(昭和36年)には、毎日美術賞を受賞し、1962年(昭和37年)には、文化勲章を受章する。また、1968年(昭和43年)には、東京国立近代美術館で回顧展が開催される。

1971年(昭和46年)4月19日に、東京都内の病院で死去する。享年67歳。

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