中村芳男 – 昭和後期の自然保護運動家

中村芳男 – 昭和後期の自然保護運動家

戦災孤児の養育と丹沢ホーム

戦災孤児の養育と丹沢ホーム

-戦災孤児の養育と丹沢ホーム-

中村芳男が戦後間もない1946年、東京都の戦災孤児救済事務所長に就任し、戦災孤児の養育に尽力しました。

当時、東京都には約10万人の戦災孤児がいましたが、ほとんどは劣悪な環境で生活をしており、十分な食糧や衣類、住居が与えられていませんでした。

中村芳男は、戦災孤児を山梨県丹沢の山中に疎開させ、自然の中で健康的に生活させることを思いつきました。

そこで、1948年に丹沢ホームを開設し、100人の戦災孤児を収容しました。

丹沢ホームでは、子供たちは自然の中で自由に遊び、農業や林業などの実習も行いました。

また、学習時間も設けられ、子供たちは勉強をすることができました。

丹沢ホームでの生活は、戦災孤児たちの心と体を癒やし、健全な成長に大きく貢献しました。

中村芳男は、戦災孤児の養育に尽力した功績により、1950年に藍綬褒章を受章しました。

丹沢ホームは、その後も戦災孤児の養育施設として運営され、現在では児童養護施設として利用されています。

丹沢のシカの保護とスーパー林道建設反対運動

丹沢のシカの保護とスーパー林道建設反対運動

-丹沢のシカの保護とスーパー林道建設反対運動-

中村芳男は、昭和後期の自然保護運動家であり、丹沢の自然保護運動の第一人者であった。

丹沢は、神奈川県と静岡県にまたがる山地で、豊かな自然が残る地域である。しかし、昭和の高度経済成長期には、丹沢にも開発の手が及んだ。

1960年代後半、丹沢にはスーパー林道が建設される計画が持ち上がった。スーパー林道とは、幅員10メートル、片側1車線の林道である。このスーパー林道が建設されれば、丹沢の自然が破壊されることは必至であった。

中村芳男は、スーパー林道建設反対運動の先頭に立った。中村芳男は、丹沢の豊かな自然を保護するためには、スーパー林道建設を阻止することが必要だと考えた。

中村芳男は、スーパー林道建設反対運動の中で、丹沢のシカの保護も訴えた。丹沢のシカは、丹沢の自然を代表する動物の一つである。しかし、シカは農作物を食べるため、農家にとっては害獣とみなされていた。

中村芳男は、シカは害獣ではないと主張した。中村芳男は、シカは丹沢の自然の一部であり、シカを保護することが丹沢の自然を守ることにつながると主張した。

中村芳男の努力により、スーパー林道建設反対運動は成功した。また、丹沢のシカの保護運動も実を結び、シカは丹沢の自然の中で生き続けることになった。

中村芳男は、丹沢の自然保護運動の第一人者として、丹沢の豊かな自然を守り抜くことに貢献した。

丹沢自然保護の会設立と全国自然保護連合理事長就任

丹沢自然保護の会設立と全国自然保護連合理事長就任

-丹沢自然保護の会設立と全国自然保護連合理事長就任-

中村芳男は、1960年代から丹沢山地での自然保護活動に尽力しました。1962年、丹沢自然保護の会を設立し、会長に就任。丹沢山地での開発計画を阻止するために、署名活動や陳情活動を行いました。1964年には、全国自然保護連合理事長に就任し、全国的な自然保護運動を推進しました。

丹沢自然保護の会は、丹沢山地の自然を守るために、様々な活動を行いました。山岳部を結成し、登山道や山小屋の維持管理を行い、自然観察会や講演会を開催しました。また、丹沢山地での開発計画を阻止するために、署名活動や陳情活動を行いました。

中村芳男は、全国自然保護連合理事長として、全国的な自然保護運動を推進しました。自然保護に関する法整備を推進し、自然保護団体の育成や、自然保護に関する啓発活動を行いました。1967年には、自然保護法が制定され、自然保護運動は大きな前進を遂げました。

中村芳男の自然保護運動は、丹沢山地や全国の自然を守るために大きな貢献をしました。中村芳男の功績を称え、1973年に朝日賞を受賞しました。1981年に亡くなりましたが、その遺志は多くの自然保護活動家に受け継がれています。

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