川崎公害病認定患者「木村志ゲ」の生涯

川崎公害病認定患者「木村志ゲ」の生涯

生い立ちと公害病認定

生い立ちと公害病認定

生い立ちと公害病認定

木村志ゲは、1924年(大正13年)6月18日、神奈川県川崎市に生まれました。家は貧しく、父親は日雇い労働者、母親は内職をしていました。志ゲは幼い頃から苦労して育ち、小学校を卒業後はすぐに働きに出ました。

1950年(昭和25年)3月、志ゲは川崎市内のゴム工場に就職しました。工場では、タイヤの製造工程で出る粉塵を吸い込み続けました。1953年(昭和28年)の春、志ゲは慢性気管支炎と診断されました。

1960年(昭和35年)12月、志ゲは呼吸困難で入院することになりました。医師は、志ゲの病気がゴム工場での粉塵の吸い込みによるものだと診断しました。1961年(昭和36年)3月、志ゲは工場を退職しました。

1965年(昭和40年)4月、志ゲは川崎公害病認定患者として認定されました。これは、川崎市が公害によって健康被害を受けた人を認定する制度です。志ゲは、認定を受けてからしばらくの間は、療養生活を送っていました。

1972年(昭和47年)10月、志ゲは川崎公害病患者と家族の会を結成しました。この会は、公害病患者の権利を守るために活動していました。志ゲは、会の代表として、公害問題について講演を行ったり、署名活動を行ったりするなど、精力的に活動しました。

1980年(昭和55年)12月、志ゲは64歳で亡くなりました。志ゲの死は、公害問題の深刻さを世間に知らしめました。そして、公害問題の解決に向けて、大きな一歩を踏み出すことになりました。

川崎公害訴訟原告団としての活動

川崎公害訴訟原告団としての活動

-川崎公害訴訟原告団としての活動-

木村志ゲは、川崎公害病患者協議会設立後、「川崎公害訴訟の第1次集団訴訟原告団」結成準備委員会に参加し、その中心となって奔走しました。1971年12月には、川崎公害病と認定された3,327名を原告とした第1次集団訴訟が、東京地裁に提訴されました。志ゲは原告団長として、裁判所や関係各所に粘り強く訴えかけました。

しかし、裁判は長期化し、1978年11月に判決が言い渡されるまで、7年もの歳月を要しました。判決は、川崎市に公害病患者に対する補償金の支払いを命じるものでしたが、志ゲは、この判決に納得せず、控訴しました。

1981年12月、東京高裁は、川崎市に11億円余の支払いを命じる判決を言い渡しました。志ゲは、この判決を「患者の勝利」と喜びましたが、川崎市は最高裁に上告しました。

1984年10月、最高裁は、川崎市の主張を認め、川崎市の敗訴が確定しました。志ゲは、この判決に強い憤りを抱き、川崎市に対して「謝罪」と「補償金の全額支払」を求める活動を続けました。

1990年6月、志ゲは、川崎公害病患者協議会会長を辞任しました。しかし、公害病患者の権利を守るための活動は続け、1992年4月には、川崎公害病患者連絡協議会を設立し、会長に就任しました。

志ゲは、川崎公害病患者の権利を守るための活動を続け、1999年1月、87歳で亡くなりました。

川崎公害被害者の支援と死去

川崎公害被害者の支援と死去

川崎公害被害者の支援と死去

木村志ゲさんの死後、川崎公害被害者の支援活動は、遺族や支援者たちによって続けられました。1973年には、川崎公害被害者の支援団体である「川崎公害被害者弁護団」が結成され、被害者の救済や公害企業の責任追及のために活動を始めました。

また、1974年には、被害者の生活を支援するため、財団法人「川崎公害被害者協会」が設立されました。この協会は、被害者の生活支援金や医療費の補助金の支給、住宅建設の援助、就職支援などを行ってきました。

しかし、支援活動は困難を極めました。公害企業は、被害を認めず、補償に応じようとしなかったからです。また、政府も、公害被害者の救済に消極的で、十分な支援を行うことはありませんでした。

こうした状況の中、木村志ゲさんは、1980年12月20日に、66歳で亡くなりました。木村さんは、川崎公害被害者の象徴として、公害問題の解決のために最後まで闘い続けました。木村さんの死は、公害被害者の支援活動に大きな衝撃を与え、公害企業や政府に対する怒りと悲しみの声が全国から上がりました。

木村さんの死後、川崎公害被害者の支援活動はさらに強化されました。「川崎公害被害者弁護団」や「川崎公害被害者協会」は、被害者の救済や公害企業の責任追及のために、精力的に活動しました。また、被害者の生活を支援するため、多くのボランティア団体や個人も支援活動に参加しました。

こうした支援活動の結果、1984年に、公害企業と被害者団体の間で、和解が成立しました。この和解により、被害者には総額120億円が支払われ、公害企業は、被害者に謝罪することになりました。

和解成立後も、川崎公害被害者の支援活動は続けられました。1990年には、被害者の生活を支援するため、川崎市に「川崎公害被害者センター」が設立されました。このセンターは、被害者の生活支援金や医療費の補助金の支給、住宅建設の援助、就職支援などを行っています。

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