シカ

その他のカテゴリー

中村芳男 – 昭和後期の自然保護運動家

-戦災孤児の養育と丹沢ホーム- 中村芳男が戦後間もない1946年、東京都の戦災孤児救済事務所長に就任し、戦災孤児の養育に尽力しました。 当時、東京都には約10万人の戦災孤児がいましたが、ほとんどは劣悪な環境で生活をしており、十分な食糧や衣類、住居が与えられていませんでした。 中村芳男は、戦災孤児を山梨県丹沢の山中に疎開させ、自然の中で健康的に生活させることを思いつきました。 そこで、1948年に丹沢ホームを開設し、100人の戦災孤児を収容しました。 丹沢ホームでは、子供たちは自然の中で自由に遊び、農業や林業などの実習も行いました。 また、学習時間も設けられ、子供たちは勉強をすることができました。 丹沢ホームでの生活は、戦災孤児たちの心と体を癒やし、健全な成長に大きく貢献しました。 中村芳男は、戦災孤児の養育に尽力した功績により、1950年に藍綬褒章を受章しました。 丹沢ホームは、その後も戦災孤児の養育施設として運営され、現在では児童養護施設として利用されています。
歴史上の偉人

– 阿比留嘉兵衛

阿比留嘉兵衛の生い立ちと銃手への登用 阿比留嘉兵衛は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。豊臣秀吉に仕えて、伏見城にて鉄砲組の頭を務めた。また、大坂の陣では、徳川家康の軍勢と激戦を繰り広げた。 阿比留嘉兵衛は、元亀元年(1570年)、近江国の阿比留村(現在の滋賀県東近江市)に生まれた。父は阿比留藤左衛門尉、母は不明。嘉兵衛は、幼少の頃から鉄砲の扱いに長け、地元では「鉄砲の名手」として知られていた。 天正10年(1582年)、本能寺の変が起こると、嘉兵衛は秀吉の挙兵に呼応して毛利輝元軍を攻撃した。この戦いにおいて、嘉兵衛は鉄砲で毛利軍の将を射殺し、一躍名を上げた。 天正13年(1585年)、嘉兵衛は秀吉の命により、伏見城の鉄砲組の頭に任命された。鉄砲組は、秀吉の直属の精鋭部隊であり、嘉兵衛は秀吉の信頼を厚くしていた。 慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いが起こると、嘉兵衛は西軍に属して徳川家康の軍勢と戦った。この戦いにおいて、嘉兵衛は奮戦したが、徳川軍の圧倒的な兵力の前には歯が立たず、敗北した。 慶長20年(1615年)、大坂の陣が起こると、嘉兵衛は再び西軍に属して徳川軍と戦った。この戦いにおいて、嘉兵衛は夏の陣で、徳川方の将、島津忠恒の軍勢と戦い、負傷した。 嘉兵衛は、傷が癒えないまま、大坂城を脱出し、浪人となった。嘉兵衛は、諸国を流浪した後、寛永12年(1635年)、故郷の阿比留村に戻り、そこで死去した。 嘉兵衛は、鉄砲の名手として知られ、秀吉に重用された武将であった。大坂の陣では、徳川軍と激戦を繰り広げ、その武勇を遺憾なく発揮した。