九条殿遺誡

歴史上の偉人

– 藤原師輔

藤原師輔の生涯 藤原師輔(ふじわら の もろすけ、908年 - 960年)は、平安時代の公卿。藤原北家摂関家、第10代摂政、第6代関白。右大臣・藤原忠平の長男。母は源昭子(源生)父方の祖父は藤原基経、曾祖父は藤原良房。 930年(延長8年)従五位下左近衛少将に叙任され、931年(承平元年)従五位上右近衛少将に昇叙。933年(承平3年)従四位下左近衛権少将に昇叙され、左大臣・藤原実頼に師事した。934年(承平4年)正四位下右近衛権中将に昇正し、右大臣・藤原忠平に師事した。935年(承平5年)正四位上右近衛権大将に昇正され、936年(承平6年)権中納言に任じられた。937年(天慶元年)従三位権大納言に昇叙され、938年(天慶2年)右大臣・藤原忠平が死去したため、右大臣に昇進した。941年(天慶4年)従二位に昇叙された。 942年(天慶5年)、関白・藤原忠平の死去に伴い、関白に任じられた。943年(天慶6年)、左近衛大将に任じられた。944年(天慶7年)正二位に昇叙された。946年(天慶9年)右大臣を辞任し、左大臣に任じられた。947年(天慶10年)内大臣を兼任し、948年(天暦2年)正一位に昇叙された。952年(天暦6年)内大臣を辞任し、左大臣に専任した。955年(天暦9年)辞職し、957年(天徳元年)関白職を辞した。958年(応和2年)出家し、960年(応和4年)薨去した。享年は53歳。 藤原師輔は、藤原氏北家摂関家の隆盛を支えた有力な政治家であり、天慶の乱平定や醍醐天皇の譲位など、多くの政務を執った。また、和歌にも優れ、勅撰和歌集『拾遺和歌集』には22首の和歌が収められている。