伊達斉義

研究者

新井剛斎:江戸時代後期の儒者

- 新井剛斎の生涯 新井剛斎は、江戸時代後期の儒者である。1734年(享保19年)、江戸の町人で、小石川に居住する新井庄司左衛門の長男として生まれた。幼名は嘉平、通称は五左衛門。 剛斎は、幼い頃から学問を好み、10歳の時には四書五経に通じていたと言われている。18歳の時に、佐藤一斎に入門して儒学を学び、22歳の時には、佐藤一斎の推薦を受けて、林大学頭(林述斎)の門人となった。 林大学頭の下で、剛斎は、朱子学を学び、27歳の時には、林大学頭の推薦を受けて、昌平坂学問所の儒官となった。その後、剛斎は、幕府の儒官として、多くの著作を残し、儒学の普及に努めた。 剛斎の著作には、『折衷梯尺』、『雨夜譚』、『敬身録』などがある。『折衷梯尺』は、朱子学と陽明学を折衷したもので、江戸時代後期に大きな影響を与えた。 剛斎は、1801年(享和元年)に、68歳で亡くなった。剛斎の死後、門人たちは、剛斎の教えを継承し、儒学の普及に努めた。
研究者

大内定盛-江戸時代後期の儒者

大見出し 大内定盛-江戸時代後期の儒者 小見出し 大内定盛の生涯 大内定盛は、江戸時代後期の儒者です。1753年(宝暦3年)に、加賀藩家老の長男として生まれました。幼い頃から学問に優れ、1772年(安永元)年、19歳の時に藩校の明倫堂に入学しました。 明倫堂では、朱子学を学び、1778年(安永7年)に藩主前田重教の侍講になりました。1781年(天明元年)には、上京して昌平黌に入学し、さらに学問を深めました。 1784年(天明4年)に帰藩して、再び明倫堂の学頭になりました。1787年(天明7年)には、藩主前田重教の命により、藩の教育改革を行いました。この改革により、藩校の教育内容が拡充され、藩士の学問のレベルが向上しました。 1793年(寛政5年)には、藩主前田重教の侍講となり、藩政にも参与しました。1805年(文化2年)には、藩主前田斉広の侍講となり、さらに藩政にも参画するようになりました。 1808年(文化5年)に、藩主前田斉広の命により、藩の史書である『加賀藩史』の編纂事業を開始しました。この事業は、1815年(文化12年)に完成し、藩の歴史を詳細に記録した貴重な史料となりました。 1816年(文化13年)に、63歳で死去しました。定盛の死後、彼の学説は「定盛学派」として、加賀藩を中心に広まりました。定盛学派は、朱子学の正統的な学説として、幕末まで多くの藩士に支持されました。