十六夜

芸能分野の人

十六夜・清心 – 河竹黙阿弥作の歌舞伎「小袖曾我薊色縫」に登場する男女

-十六夜と清心の心中未遂- 十六夜と清心は、河竹黙阿弥作の歌舞伎「小袖曾我薊色縫」に登場する男女です。十六夜は遊女、清心は町人です。二人は心中未遂事件を起こし、十六夜は死んでしまいます。 十六夜は、清心の妻であるおとせに嫉妬し、清心を殺そうとします。しかし、清心は十六夜の思いを受け入れ、二人は心中未遂事件を起こします。十六夜は死に、清心は命を落とします。 十六夜と清心の心中未遂事件は、当時の社会に大きな衝撃を与えました。歌舞伎でもこの事件を題材にした作品が上演され、人々の話題となりました。 十六夜と清心の心中未遂事件は、愛の悲劇として語り継がれています。二人は、互いに強く愛し合っていましたが、その愛は悲劇的な結末を迎えてしまいました。 十六夜と清心の心中未遂事件は、人間の愛の深さや悲しみを表現した作品です。この作品は、今もなお多くの人々に愛されています。
音楽分野の人

名作を世に送り続けた浄瑠璃太夫「清元延寿太夫(4代)」の人生

-清元延寿太夫(4代)の生い立ちと浄瑠璃との出会い- 清元延寿太夫(4代)は、文化4年(1807年)12月28日、江戸の日本橋に生まれました。本名は菊池政吉、幼名は政五郎です。父親は清元節の三味線方、3代目清元菊蔵、母親は歌い手でした。 政五郎は、幼い頃から浄瑠璃に親しみ、9歳の時に、父に連れられ、清元宗家、初代延寿太夫(後の清元節の祖)の門下に入り、家元を継ぐために稽古を受け始めました。その頃、彼の家は、神田区岩本町にあり、政五郎は、本郷区森川町にあった家元に通っていました。 政五郎は、浄瑠璃の才能を発揮し、14歳の時に、清元政寿の名で初舞台を踏みました。そして、17歳の時に、清元延寿太夫(4代)を襲名しました。 延寿太夫は、浄瑠璃の才能に加えて、その美貌でも知られていました。彼は、女形の名手として、多くの浄瑠璃ファンを魅了しました。特に、彼の「清元越後獅子」は、「延寿節」と呼ばれ、大好評を博しました。 延寿太夫は、浄瑠璃界のトップスターとして、活躍を続けましたが、32歳の時に、突然、引退を表明しました。理由は、彼の美貌が衰えたためだと言われています。しかし、その後も、彼は、浄瑠璃の相談役にとして、活躍を続けました。 延寿太夫は、明治22年(1889年)11月17日に、83歳で亡くなりました。浄瑠璃界の巨星、清元延寿太夫(4代)の生涯でした。