安富祖正元

音楽分野の人

知念績高 – 琉球の三線演奏家

-知念績高の生涯- 知念績高は、1884年3月8日に沖縄県島尻郡知念村(現在の南城市知念)に生まれました。父親は地謡の名人として知られた知念松秀、母親は民謡の弾き手として活躍した知念シゲでした。績高は幼い頃から三線の音色に触れ、7歳の時には父から三線を習い始めました。 16歳のとき、績高は那覇市に移住し、三線の名手として知られた宮城常季に師事しました。宮城のもとで績高は三線の基礎を学び、さらに三味線や琵琶の奏法も習得しました。 1903年、績高は宮城常季の推薦で東京音楽学校に入学しました。東京音楽学校では、三線や三味線を専攻し、1907年に卒業しました。 卒業後は、東京で三線や三味線の演奏活動を行うとともに、三線の普及にも努めました。1910年には、東京で初めての三線教室を開設し、三線の演奏方法を教えました。 1920年、績高は故郷の知念村に戻り、三線の演奏活動と後進の指導に専念しました。1925年には、知念村に三線教室を開設し、多くの弟子を育てました。 績高は、1960年3月1日に76歳で亡くなりました。績高の死後、弟子たちが彼の遺志を受け継ぎ、三線の普及と後進の指導に努めました。 績高は、三線の第一人者として知られ、三線の普及と後進の指導に尽力した功績で、1950年に琉球政府から文化功労賞を贈られました。また、1955年には、日本政府から人間国宝に認定されました。
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安富祖正元 – 琉球の音楽家

-安富祖流の創始者- 安富祖流は、沖縄三味線の流派のひとつであり、安富祖正元によって創始されました。安富祖流は、沖縄三味線の中で最も古い流派であり、現在でも多くの人々に親しまれています。 安富祖正元は、1785年に沖縄県の首里で生まれました。幼い頃から音楽の才能に恵まれ、10代で三味線を始めました。その後、中国に渡り、三味線の演奏を学び、帰国後は沖縄で三味線の名手として活躍しました。 安富祖正元は、三味線の演奏だけでなく、作曲にも才能を発揮しました。彼の作った曲は、多くの沖縄民謡の原曲となっています。また、彼は三味線の新しい奏法を開発し、その奏法は現在でも安富祖流の三味線奏者によって受け継がれています。 安富祖正元は、1848年に63歳で亡くなりました。しかし、彼の音楽は現在でも多くの人々に愛されており、安富祖流は沖縄三味線の代表的な流派として親しまれています。 -安富祖流の特徴- 安富祖流は、沖縄三味線の流派の中で最も古い流派であり、その特徴は、以下の通りです。 * 演奏方法が独特で、三味線を膝の上に置き、撥で弦を弾く。 * 音色は明るく華やかで、沖縄民謡の軽快なリズムに合っている。 * 三味線の胴が小さく、棹が長い。 * 唄三線(うたさんしん)としても使われることが多く、沖縄民謡や叙情歌の伴奏に適している。 安富祖流は、沖縄三味線の流派の中で最も古い流派であり、その演奏方法は独特で、音色は明るく華やかです。安富祖流は、沖縄民謡の軽快なリズムに合っているため、沖縄民謡の伴奏として多くの人に親しまれています。