富山県三日市町長

政治分野の人

寺島権蔵→ 大正から昭和初期の新聞記者、政治家

明治初期の生い立ちと早稲田大学への進学 寺島権蔵は、1861年(文久元年)11月25日に、茨城県常陸太田市に生まれました。父親は寺島清兵衛、母親はキミです。寺島家は代々、農民を営んでいましたが、権蔵の父親の代に酒造業を始めて成功を収めました。 権蔵は、幼い頃から頭が良く、村の寺子屋に通って、漢学や算術を学びました。16歳の時、東京に出て、早稲田大学の前身である東京専門学校に入学しました。東京専門学校は、福沢諭吉が創設した学校で、自由民権運動の拠点となっていました。 権蔵は、東京専門学校で政治経済を学び、自由民権運動に参加しました。また、ジャーナリズムにも興味を持ち、学生新聞の編集長を務めました。1882年(明治15年)、東京専門学校を卒業した権蔵は、新聞記者として働き始めました。 権蔵は、新聞記者として、自由民権運動や社会問題を積極的に取り上げました。その記事は、人々から多くの支持を得て、権蔵は、ジャーナリストとして、その名を馳せました。1890年(明治23年)、権蔵は、衆議院議員に当選し、政界入りしました。 権蔵は、政界でも、自由民権運動や社会問題を積極的に取り上げました。また、地方自治の確立にも尽力しました。1916年(大正5年)、権蔵は、文部大臣に就任しました。文部大臣として、権蔵は、教育の改革に取り組みました。 1928年(昭和3年)、権蔵は、衆議院議員を辞職し、政界を引退しました。その後、権蔵は、ジャーナリズムの世界に戻り、新聞や雑誌に評論を発表しました。1931年(昭和6年)、権蔵は、70歳で亡くなりました。