岡宮天皇

歴史上の人物

「岡宮天皇」について

-岡宮天皇の生涯- 岡宮天皇(おかのみやてんのう)は、(崩御前後の時期は異なるが)1293年(永仁元年)12月から1294年(正応1年)5月まで、わずか半年足らずの約半年ほど在位した日本の天皇である。 * -即位前- 岡宮天皇(亀山第二皇子、弘安4年(1281年)8月13日 - 永仁元年(1293年)12月19日)は、鎌倉時代後期の日本の皇族である。亀山天皇の第二皇子で、母は皇后・西園寺公子(伏見天皇の皇女)である。 * -即位- 弘安11年(1288年)11月30日には親王宣下を受け、参議従三位に叙任される。永仁元年(1293年)12月19日、亀山天皇の譲位を受けて践祚し、諱を惟康と改めた。践祚に際して、藤原氏長者・九条忠家の女・喜子(暲子、後深草院の曽孫)を准后に迎え、子供を持たないまま崩御した。 * -崩御- 永仁2年(1294年)5月16日に崩御。享年14。在位期間はわずか半年足らずであった。崩御の際に岡宮の門を御霊にしたところ、病気が治ったという伝えがある。 * -陵墓- 岡宮天皇の陵墓は、京都府京都市東山区今熊野泉山町にある泉涌寺内にある。
歴史上の人物

「草壁皇子」

「草壁皇子」 -草壁皇子の生涯- 草壁皇子(くさかべのみこ、662年(天智天皇元年) - 689年2月15日(持統天皇3年1月27日))は、天智天皇の第二皇子。母は蘇我倉山田石川麻呂の娘、蘇我石川郎女。持統天皇の同母弟。 天智天皇2年(663年)に皇太子に立てられ、天武天皇2年(673年)には大宰帥に任命され、九州地方の統治を任される。しかし、天武天皇7年(678年)に勃発した壬申の乱では、兄の大友皇子の側に就いて戦ったため、敗北後、廃太子となり、近江国に流された。 持統天皇元年(687年)に赦免され、官位を回復、侍従に任じられた。翌2年(688年)には大納言に任命され、翌3年(689年)に没した。享年28。 草壁皇子は、聡明で学問を好み、詩歌にも秀でていた。また、武芸にも優れ、弓馬の道に長けていたという。壬申の乱では、兄の大友皇子に協力して戦ったが、敗北後は廃太子となり、近江国に流された。しかし、持統天皇の赦免によって官位を回復し、侍従に任じられた。翌2年(688年)には大納言に任命され、翌3年(689年)に没した。享年28。 草壁皇子には、皇子や皇女がいたが、薨去した後に、妻もろとも大納言大伴安麻呂による粛清によって誅殺されている。