希斎集

研究者

安積希斎とその生涯

- 安積希斎の生い立ちと家系 安積希斎は、1773年(安永2年)に、江戸の湯島で生まれた。本名は積善、通称は喜平治、号は希斎。家は代々、江戸幕府の儒官を務める家系で、父・安積澹泊は、朱子学を学び、幕府の儒官として働いていた。希斎は、幼い頃から、父から朱子学を学び、14歳の時には、父に代わって、幕府の儒官となった。 希斎は、儒学の研究に励み、25歳の時には、朱子学の聖典である「四書五経」の注釈書である「四書五経纂疏」を完成させた。この注釈書は、朱子学の権威ある注釈書として、多くの儒学者から賞賛され、希斎の名は、儒学界に知られるようになった。 希斎は、儒学の研究だけでなく、政治や経済にも関心を持ち、幕府の政治を批判する文章を発表することもあった。そのため、幕府から目をつけられるようになり、1839年(天保10年)には、幕府の儒官を辞職させられた。 希斎は、儒官を辞職した後も、儒学の研究を続け、多くの著作を発表した。また、私塾を開いて、弟子を育てた。希斎の弟子の中には、後に、幕府の儒官として活躍する者もいた。 希斎は、1857年(安政4年)に、85歳で死去した。希斎の死後、その著作は、多くの儒学者から高く評価され、朱子学の発展に大きな影響を与えた。