御寺御所

歴史上の人物

永皎女王 – 江戸時代中期の皇女

-御所号が与えられる- 永皎女王は、明和元年(1764年)11月25日、江戸城において光格天皇の第二皇女として誕生しました。母は、権大納言・正親町三条公則の娘である光格天皇の中宮・欣子内親王です。幼名は、好仁宮(よしひとのみや)といいます。 安永6年(1777年)6月23日、好仁宮は永皎女王と改名し、御所号を賜りました。御所号とは、皇族に与えられる別称のことで、永皎女王の場合は「常磐井御所(ときわいのみや)」でした。 永皎女王が御所号を賜ったのは、13歳の時です。当時、光格天皇には皇子がなく、皇位継承問題が懸念されていました。そんな中、永皎女王は皇女として唯一の皇位継承権者となり、皇位継承の有力候補と目されるようになりました。 永皎女王が御所号を賜ったのは、皇位継承権者としての地位が確立されたことを意味します。そして、永皎女王は将来、皇位を継承し、女帝になることが期待されるようになりました。 しかし、永皎女王は天明8年(1788年)10月26日、24歳の若さで薨去しました。薨去の原因は、疱瘡(天然痘)でした。永皎女王の薨去により、皇位継承問題は再び混沌としました。 そして、寛政6年(1794年)に光格天皇の第四皇子である祐宮(のちの仁孝天皇)が誕生し、皇位継承問題はようやく解決しました。 永皎女王は、皇位継承権者として皇室に大きな期待を寄せられた女性でした。しかし、若くして薨去し、その期待は果たせませんでした。それでも、永皎女王は皇族として、日本の歴史にその名を残しています。