日本教育テレビ取締役

政治家・活動家

菊池豊三郎 – 大正・昭和を彩った官僚

文部省での活躍 菊池豊三郎は、1920(大正9)年に文部省に入省し、学制、教育改革、地方教育行政、社会教育など、幅広い分野で活躍しました。 文部省入省後、菊池豊三郎は、すぐに頭角を現し、1923(大正12)年には、学務局長に昇進しました。学務局長として、菊池豊三郎は、小学校令、中学校令、高等学校令などの改正を行い、日本の教育制度の近代化に大きく貢献しました。 1929(昭和4)年には、文部次官に就任し、文部省の最高幹部となりました。文部次官として、菊池豊三郎は、教育勅語の制定、国民学校令の公布、教育振興計画の策定など、数々の重要な政策を立案・実施しました。 菊池豊三郎は、文部省在職中に、日本の教育制度の近代化に大きく貢献しただけでなく、社会教育の振興にも力を注ぎました。菊池豊三郎は、図書館法、公民館法などの制定に尽力し、日本の社会教育の発展に貢献しました。 菊池豊三郎は、1937(昭和12)年に、文部大臣に就任しました。文部大臣として、菊池豊三郎は、戦時体制下の教育政策を立案・実施し、日本の教育制度を戦時体制に適合させることに努めました。 菊池豊三郎は、1945(昭和20)年に、文部大臣を辞任し、政界を引退しました。しかし、菊池豊三郎は、その後も、日本教育界の発展に尽力し、1967(昭和42)年には、文化勲章を受章しました。