柏園家集

文学分野の人

人名辞典 – 相川景見(1811-1875)

-相川景見の生涯- 相川景見は、江戸時代末期の維新志士、政治家。諱は省斎。相川七郎、相川左武郎、相川省三、相川景雄、西村省斎とも名乗った。 1811年、肥前国松浦郡岩屋村(現・長崎県松浦市福島町)に生まれる。父は相川景久、母は西村氏の娘。幼名は七郎。 1826年、肥前国平戸藩の藩校・松陰館に入学。儒学者・松浦静山に師事し、学問を修める。 1834年、平戸藩の藩士となる。1837年、江戸に出て、昌平坂学問所に学ぶ。 1842年、平戸藩に帰藩。1844年、藩主・松浦静山に随従して江戸に赴き、将軍・徳川家慶に謁見。 1846年、平戸藩の江戸藩邸の留守居役となる。 1848年、平戸藩の藩主・松浦静山の命により、幕府の老中・阿部正弘に謁見。幕府の改革への要望を述べる。 1853年、ペリー来航。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、ペリーと会見。 1854年、日米和親条約締結。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、神奈川でハリスと会見。 1858年、日米修好通商条約締結。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、江戸でハリスと会見。 1860年、桜田門外の変。景見は、幕府の老中・安藤信正に随従して、江戸城に登城。 1861年、文久の改革。景見は、幕府の老中・長野主膳に随従して、江戸城に登城。 1862年、生麦事件。景見は、幕府の老中・安藤信正に随従して、横浜に赴き、イギリス公使・オールコックと会見。 1863年、薩英戦争。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、鹿児島に赴き、薩摩藩主・島津斉彬と会見。 1864年、禁門の変。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、京都に赴き、孝明天皇に謁見。 1866年、第二次長州征伐。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、広島に赴き、毛利敬親と会見。 1867年、王政復古。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、江戸城に登城。 1868年、戊辰戦争。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、江戸城に籠城。 1869年、江戸城開城。景見は、幕府の老中・阿部正弘に随従して、江戸城を退去。 1870年、景見は、東京府の参事となる。 1871年、景見は、東京府の知事となる。 1872年、景見は、東京府の知事を辞任。 1875年、景見は、東京府で死去。享年65。