歴代宝案

歴史上の人物

蔡鐸 – 琉球の歴史家

蔡鐸の生涯 蔡鐸は、1461年(景泰2年)に中国の福建省福州府閩侯県に生まれました。裕福な家庭に育ち、幼い頃から学問に励みました。1480年(成化16年)に福建省の郷試に合格し、1481年(成化17年)には会試に合格して進士となりました。その後、翰林院庶吉士に任命され、翰林院で修史の仕事に携わりました。 1501年(弘治14年)に琉球に派遣され、琉球の歴史を編纂する任に当たりました。蔡鐸は、琉球に滞在すること6年、膨大な資料を収集して『琉球国志略』を編纂しました。この書は、琉球の歴史や文化、風俗を詳細に記録した貴重な史料として、今日でも高く評価されています。 1507年(正徳2年)に蔡鐸は琉球を離れ、中国に帰国しました。帰国後は翰林院侍読学士に任命され、その後、官を辞して故郷の福州に戻りました。1525年(嘉靖4年)に福州で亡くなり、享年65歳でした。 蔡鐸は、琉球の歴史研究に大きな貢献を果たした人物として知られています。『琉球国志略』は、琉球の歴史研究において基本的な史料として広く用いられており、蔡鐸の功績は今日でも高く評価されています。
歴史上の人物

久場政盛→ 沖縄の警察官、社会事業家

-警察官としての活躍- 久場政盛は、明治31年(1898年)に沖縄県警察部に奉職しました。巡査として着任した久場は、その高い能力と真面目な仕事ぶりで頭角を現し、わずか1年で巡査部長に昇進しました。その後も着実に昇進を重ね、明治38年(1905年)には警部補、明治43年(1910年)には警部に昇進しました。 久場は、警察官として多くの功績を残しました。特に、沖縄県を悩ませていた密売や賭博の取り締まりに力を入れ、これらを取り締まることで社会の治安を向上させました。また、久場は警察官としてだけではなく、社会事業にも熱心に取り組みました。明治40年(1907年)には、沖縄県社会事業協会の設立に尽力し、同協会の初代会長に就任しました。沖縄県社会事業協会は、沖縄県の社会事業の発展に大きく貢献し、久場は社会事業家としても大きな功績を残しました。 久場は、明治45年(1912年)に警察官を退職しました。しかし、退職後も社会事業に尽力し続け、沖縄県の社会事業の発展に貢献しました。久場は、大正13年(1924年)に死去しましたが、その功績は現在でも語り継がれています。