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中村雀右衛門(初代) – 幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎役者

-初代中村雀右衛門の生涯と功績- 中村雀右衛門 (初代)は、幕末から明治にかけて活躍した歌舞伎役者です。本名は田中庄吉。1813年(文化10年)に江戸で生まれました。父は江戸の商人、母は京都の出身です。幼い頃から芸事に興味があり、7歳の頃から歌舞伎の稽古を始めました。1822年(文政5年)に初舞台を踏み、1832年(天保3年)に二枚目立役として江戸の河原崎座で初役を勤めました。 雀右衛門は、若くして頭角を現し、1835年(天保6年)には江戸の歌舞伎座で「勧進帳」の弁慶役を勤めて大当たりを取りました。その後も数々の名作に出演し、人気俳優として活躍しました。1868年(慶応4年)には、明治維新後の新政府から歌舞伎の改革を命じられ、歌舞伎座の再建に尽力しました。 雀右衛門は、歌舞伎の伝統を守りながら、新しい演目を積極的に取り入れていきました。また、役者の演技力や舞台美術にもこだわり、歌舞伎の芸術性を高めました。1890年(明治23年)には、初代中村雀右衛門を襲名し、歌舞伎界の重鎮として活躍しました。 雀右衛門は、1900年(明治33年)に死去しました。享年87。雀右衛門の死は、歌舞伎界に大きな衝撃を与えました。雀右衛門は、歌舞伎の伝統を守りながら、新しい演目を積極的に取り入れていきました。また、役者の演技力や舞台美術にもこだわり、歌舞伎の芸術性を高めました。雀右衛門は、歌舞伎界に大きな功績を残した偉大な俳優です。
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市川八百蔵(4代) – 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者

市川八百蔵(4代)の生涯 市川八百蔵(4代)は、江戸時代中期から後期の歌舞伎役者であり、江戸三座のうちのひとつである中村座の座元を務めた人物です。 1723年、江戸で市川八百蔵(3代)の息子として生まれる。幼名は菊三郎。1729年、市川團十郎(4代)の門下となり、市川菊之丞を名乗る。1735年、市川八百蔵(4代)を襲名。中村座の座元となり、数多くの狂言を上演しました。 八百蔵(4代)は、当代随一の立役として活躍しました。特に、荒事を得意とし、豪快でダイナミックな演技で人気を博しました。また、俳句や書画にも優れており、文化人としても知られました。 1763年、41歳で死去。跡を弟の市川團蔵(4代)が継ぎました。 八百蔵(4代)は、中村座の座元として、歌舞伎の発展に大きく貢献しました。また、その優れた演技は、今日でも語り継がれており、歌舞伎の歴史において重要な人物の一人として位置づけられています。
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藤川友吉(3代) – 江戸時代後期の歌舞伎役者

初代藤川友吉から襲名 初代藤川友吉は、享保4年(1719年)に江戸で生まれました。本名は藤川友蔵。歌舞伎役者としては、初め七代目市川團十郎の門人となり、七代目市川團蔵と名乗りました。その後、三代目中村歌右衛門の門人となり、三代目中村歌六と名乗りました。享保17年(1732年)に、三代目中村歌右衛門の養子となり、四代目中村歌右衛門を襲名しました。 四代目中村歌右衛門は、歌舞伎の名優として知られ、多くの当たり役がありました。特に、世話物の芝居を得意とし、歌舞伎の新しい様式を打ち立てました。また、人形浄瑠璃の研究にも熱心で、歌舞伎と人形浄瑠璃の融合を図りました。 元文3年(1738年)、四代目中村歌右衛門は、享年20歳で死去しました。その跡を継いだのが、藤川友蔵でした。藤川友蔵は、四代目中村歌右衛門の養子となり、二代藤川友吉を襲名しました。 二代藤川友吉は、四代目中村歌右衛門の芸風を受け継ぎ、歌舞伎の名優として活躍しました。特に、世話物の芝居を得意とし、歌舞伎の新しい様式を打ち立てました。また、人形浄瑠璃の研究にも熱心で、歌舞伎と人形浄瑠璃の融合を図りました。 天明3年(1783年)、二代藤川友吉は、享年55歳で死去しました。その跡を継いだのが、藤川友蔵の長男でした。藤川友蔵の長男は、三代目藤川友吉を襲名しました。 三代目藤川友吉は、二代藤川友吉の芸風を受け継ぎ、歌舞伎の名優として活躍しました。特に、世話物の芝居を得意とし、歌舞伎の新しい様式を打ち立てました。また、人形浄瑠璃の研究にも熱心で、歌舞伎と人形浄瑠璃の融合を図りました。 文化14年(1817年)、三代目藤川友吉は、享年55歳で死去しました。三代目藤川友吉の死後は、藤川友吉襲名者が途絶えました。