池田政保

歴史上の人物

池田政保 – 幕末から昭和初期の大名と華族

-池田家の10代目当主- 池田政保は、池田家の10代目当主であり、幕末から昭和初期の大名、華族である。天保6年(1835)に生まれ、父は池田斉政、母は松平頼恕の娘である。 幼い頃から聡明で、藩政にも早くから参与した。安政5年(1858)に父の隠居に伴い家督を継ぐ。 文久2年(1862)、池田政保は将軍徳川家茂の上洛に従い、京都へ向かう。そこで、尊王攘夷派と幕府派の間の対立が激化しているのを見て、勤王を唱える。 慶応2年(1866)、池田政保は鳥羽・伏見の戦いに参加する。しかし、幕府軍は敗北し、池田政保は大阪城に籠城した。その後、池田政保は新政府軍に降伏し、謹慎処分を受ける。 明治2年(1869)、池田政保は謹慎を解かれ、華族に列せられる。明治4年(1871)には、海軍卿に任命される。 明治10年(1877)、西南戦争が勃発すると、池田政保は政府軍に加わり、鹿児島へ出征する。 明治17年(1884)、池田政保は貴族院議員に勅選される。以後、貴族院議員を務め、明治36年(1903)に死去する。 池田政保は、幕末から昭和初期にかけて活躍した大名、華族である。勤王を唱え、新政府軍に加わったことで、維新後の日本に大きな影響を与えた人物である。