生坂

歴史上の人物

池田政恭:備中岡山新田藩主の生涯

池田政恭の生い立ちと経歴 池田政恭は、1581年(天正9年)に備前岡山城で池田輝政の三男として誕生しました。幼名は三左衛門尉。母は正室の姫路御前(天正夫人)で、豊臣秀吉の養女でした。 政恭は輝政の嫡男・忠継、次男・利隆に次ぐ三男でしたが、利隆が早世したため、1601年(慶長6年)に輝政の嫡男となります。同年、輝政は隠居して備前岡山藩主の座を政恭に譲りました。 政恭は藩主就任後、岡山城の改築、城下町の整備、新田開発、産業振興などを行って藩政を充実させました。また、豊臣秀吉から受け継いだ弓の名手として知られ、武芸にも優れた藩主でした。 1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いで、政恭は徳川家康方に与して活躍。戦後、岡山藩12万石に加え、美作国勝山10万石と播磨国龍野1万石を加増されて、合計23万石の大大名となりました。 1615年(元和元年)の大坂夏の陣では、政恭は徳川家康の直属部隊として参陣。豊臣秀頼方の真田信繁(幸村)と激戦を繰り広げ、信繁を討ち取る武功を挙げました。 戦後、政恭は岡山藩主の座を四男の光政に譲って隠居。1632年(寛永9年)に52歳で死去しました。 政恭は、戦国大名から大名への転身を果たし、岡山藩の基礎を築いた名君として知られています。