紀伊熊野

歴史上の人物

楠不伝とは-戦国から江戸時代にかけて活躍した武士.

- 武士であり兵法家の楠不伝 楠不伝(くすのき ふでん)は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した武士であり、兵法家です。通称は勘助、号は木斎。諱は正成。 不伝は、播磨国(現在の兵庫県)で生まれ、楠木正成の末裔であるといわれています。幼い頃から武芸に優れ、15歳で上洛して足利義昭に仕えました。 義昭の命を受けて、不伝は各地を転戦し、武功を挙げました。特に、1570年(元亀元年)の姉川合戦では、織田信長の軍勢を破ったことで知られています。 その後、不伝は豊臣秀吉に仕え、九州征伐や小田原征伐に参加しました。秀吉死後は、徳川家康に仕え、関ヶ原の戦いにも参戦しました。 戦国時代を生き延びた不伝は、江戸時代に入り、兵法の指南役として活躍しました。不伝が創始した兵法は、楠流兵法と呼ばれ、武家や農民の間で広く親しまれました。 不伝は、1625年(寛永2年)に死去しました。享年77。不伝の墓は、京都府京都市にある建仁寺にあります。 楠不伝は、戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した、勇敢で知略に富んだ武士でした。不伝が創始した楠流兵法は、現在もなお、多くの武術家によって継承されています。