自然の妙味に感嘆す

作家

「上林暁」 – 生い立ちから晩年までの軌跡

-生い立ちと学生時代- 大見出し「「上林暁」 - 生い立ちから晩年までの軌跡」の下に作られた小見出しの「生い立ちと学生時代」の本文です。 上林暁は、1902年(明治35年)8月23日、東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区本郷)に生まれた。父は東京大学の法科大学教授であった上林敬次郎、母は上林柳子である。暁は、敬次郎と柳子の間に生まれた3人の子供のうちの長男であった。 暁は、幼い頃から病弱であり、小学校時代に結核を患った。そのため、同級生たちと遊ぶことができなかったが、本を読むことには熱中した。暁は、特にフランス文学を好み、ギ・ド・モーパッサンやアルフレッド・ド・ミュッセの作品を愛読した。 暁は、東京府立第一中学校(現在の東京都立日比谷高等学校)を卒業後、東京帝国大学文学部仏文科に進学した。大学在学中は、フランス文学の研究に没頭し、卒業後はフランスに留学した。暁は、パリ大学でフランス文学を学び、1929年(昭和4年)に帰国した。 帰国後は、東京帝国大学文学部仏文科の講師となり、フランス文学の研究と教育に携わった。また、この頃、小説を書き始め、1933年(昭和8年)に『刺青』で芥川賞を受賞した。暁は、この作品で、日本の社会や文化を鋭く批判し、大きな反響を呼んだ。 暁は、その後も小説を書き続け、1935年(昭和10年)に『春琴抄』で直木賞を受賞した。暁は、この作品で、江戸時代の遊女の悲劇を描き、日本人の美意識を鋭く問うた。 暁は、1945年(昭和20年)8月15日の終戦後、GHQによって公職追放処分を受け、東京帝国大学文学部仏文科の講師を辞任した。その後、暁は、フリーの作家として活動し、1948年(昭和23年)に『化粧』で毎日出版文化賞を受賞した。 暁は、1969年(昭和44年)2月15日、東京都渋谷区神宮前の自宅で死去した。享年66歳であった。