興服産業

経済分野の人

三輪常次郎 – 大正・昭和時代の実業家

-綿布問屋服部兼三郎商店に入社- 1905年、三輪常次郎は高等小学校を卒業すると、地元の綿布問屋である服部兼三郎商店に丁稚奉公として入社しました。服部兼三郎商店は、地元の老舗問屋で、三輪常次郎はここで商売の基本を学びました。 三輪常次郎は、丁稚奉公時代から非常に働き者で、主人の信頼を得ていました。また、商才にも優れており、すぐに服部兼三郎商店の番頭に取り立てられました。番頭として、三輪常次郎は仕入れや販売、経理などを担当し、服部兼三郎商店の経営に大きく貢献しました。 1913年、三輪常次郎は兵役に就き、1915年に除隊しました。除隊後、三輪常次郎は服部兼三郎商店に復職し、番頭として引き続き経営に尽力しました。 1918年、服部兼三郎商店の主人が死去し、三輪常次郎が後を継いで社長に就任しました。三輪常次郎は、社長就任後も引き続き商才を発揮し、服部兼三郎商店を大きく発展させました。服部兼三郎商店は、三輪常次郎の経営下で、地元屈指の綿布問屋となりました。 1930年代後半になると、日本は太平洋戦争に突入しました。戦争中、服部兼三郎商店も軍需産業に協力し、軍需物資の生産に尽力しました。 1945年、日本は太平洋戦争に敗戦しました。敗戦後、服部兼三郎商店はGHQによって接収されました。しかし、三輪常次郎は接収解除後すぐに服部兼三郎商店を再建し、事業を再開しました。 1950年代以降、日本経済は高度経済成長期を迎えました。服部兼三郎商店も、この高度経済成長の波に乗り、大きく発展しました。三輪常次郎は、高度経済成長期に服部兼三郎商店を日本屈指の綿布問屋に育て上げました。 1970年、三輪常次郎は服部兼三郎商店の会長に退き、後を息子に譲りました。三輪常次郎は、1975年に亡くなりました。