芦田均

政治家・活動家

芦田均:日本の戦後復興に貢献した政治家

芦田均の生涯 芦田均は、1887年(明治20年)11月24日に兵庫県に生まれました。父は芦田七郎衛門、母はよしゑです。芦田は、東京帝国大学法科大学を卒業後、1911年(明治44年)に外務省に入省しました。第一次世界大戦中は、アメリカ合衆国に駐在し、1919年(大正8年)のヴェルサイユ条約締結に際しては、日本代表団の一員として参加しました。 1920年(大正9年)、芦田は退官し、政界入りしました。1924年(大正13年)に衆議院議員に当選し、その後、1932年(昭和7年)に文部大臣、1937年(昭和12年)に外務大臣を務めました。しかし、1941年(昭和16年)に太平洋戦争が勃発すると、芦田は戦争に反対したため、同年12月に罷免されました。 1945年(昭和20年)8月、太平洋戦争が終結すると、芦田は政界に復帰しました。1946年(昭和21年)に衆議院議員に再選され、幣原内閣で外務大臣を務めました。1947年(昭和22年)2月には、芦田内閣を組閣しました。芦田内閣は、戦後の日本の復興に尽力し、経済安定九原則や労働関係調整法などを制定しました。しかし、1948年(昭和23年)3月に芦田は総辞職しました。 芦田は、1948年(昭和23年)に衆議院議員に再選され、1950年(昭和25年)に副総理・経済企画庁長官を務めました。1954年(昭和29年)には、衆議院議長に就任しました。1959年(昭和34年)には、自由民主党総裁に就任し、同年6月に首相に就任しました。芦田内閣は、日米安全保障条約の改定や経済成長政策を推進しましたが、1960年(昭和35年)7月に芦田は総辞職しました。 芦田は、1964年(昭和39年)12月20日に死去しました。享年77歳でした。