芸名

文学分野の人

「玉沢幸十郎」(⇒玉沢林弥(たまざわ-りんや))について

-玉沢幸十郎とは- 玉沢幸十郎とは、戦前から昭和期にかけて活躍した日本の映画監督、脚本家、演出家です。本名は玉沢林弥(たまざわ・りんや)といい、1900年(明治33年)に東京都に生まれました。 玉沢幸十郎は、早稲田大学在学中に演劇部に所属し、そこで演出家として頭角を現しました。その後、松竹蒲田撮影所に入社し、監督として数多くの作品を手がけました。代表作には、『からくりお菊』(1926年)、『綴方教室』(1927年)、『人情紙風船』(1937年)などがあります。 玉沢幸十郎の作品は、庶民の生活を描いたものが多く、そのリアリティあふれる演出が好評を博しました。また、玉沢幸十郎は、映画製作において俳優の演技指導に重点を置き、その指導を受けた俳優たちは「玉沢組」と呼ばれて高く評価されました。 戦後は、新東宝で監督として活躍しました。代表作には、『又四郎喧嘩旅』(1954年)、『お菊と播磨』(1956年)などがあります。 1961年に61歳で亡くなりました。
その他

東正英(東梅竜軒)

-東正英(東梅竜軒)の生い立ちと経歴- -生い立ち- 東正英は1937年4月10日、東京都中央区日本橋に生まれた。本名は東英治。父は日本橋で呉服商を営んでいたが、正英が1歳のときに亡くなった。母は正英と姉を女手一つで育て上げた。 正英は幼い頃から体が弱く、よく熱を出していた。そのため、学校を休みがちになり、成績は良くなかった。しかし、正英は勉強が好きで、家ではよく本を読んでいた。 正英が12歳のとき、母が再婚した。正英は繼父ともうまくやっていき、勉強にも力を入れ始めた。やがて、正英は都立高校に入学した。 -経歴- 正英は高校卒業後、1956年に東京大学経済学部に入学した。大学在学中に、正英は演劇部に所属し、芝居に出演したり、脚本を書いたりしていた。 1960年に大学を卒業した正英は、就職せずに、劇団を旗揚げした。劇団名は「東梅竜軒」。正英は、座長として、舞台に立ったり、脚本を書いたりした。 1962年、東梅竜軒は解散した。正英は、その後、フリーの脚本家として活動した。1964年、正英は、映画「駆逐艦雪風」の脚本を担当した。この映画は大ヒットし、正英は脚本家として一躍有名になった。 正英は、その後も多くの映画やテレビドラマの脚本を手がけた。代表作には、「燃えよ剣」、「仁義なき戦い」、「水戸黄門」などがある。正英は、1993年、56歳のときに亡くなった。
芸能分野の人

中村鶴蔵(3代) – 明治・昭和初期の歌舞伎界のスター

- 中村鶴蔵(3代)の生涯と功績 中村鶴蔵(3代)は、明治・昭和初期の歌舞伎界のスターでした。彼は、その優れた演技力と端正な容姿で、多くのファンを魅了しました。また、彼は歌舞伎の改革にも尽力し、歌舞伎界の発展に貢献しました。 鶴蔵は、1878年(明治11年)に、東京で生まれました。幼い頃から歌舞伎に親しみ、12歳の時に初代中村鴈治郎の門下に入門しました。1895年(明治28年)に初舞台を踏み、翌年には二代目中村鶴蔵を襲名しました。 鶴蔵は、その優れた演技力と端正な容姿で、たちまち人気俳優となりました。彼は、若手俳優の登竜門とされていた「新富座の早替り」にも出演し、その演技を高く評価されました。1903年(明治36年)には、帝国劇場の杮落とし公演にも出演し、歌舞伎界のスターとなりました。 鶴蔵は、歌舞伎の改革にも尽力しました。彼は、歌舞伎の演出や台本を現代風に改め、歌舞伎をより大衆に親しみやすいものにしました。また、彼は海外公演にも積極的に参加し、歌舞伎の国際化にも貢献しました。 鶴蔵は、1949年(昭和24年)に、68歳で亡くなりました。彼は、その生涯を通じて歌舞伎界の発展に貢献した偉大な俳優でした。
芸能分野の人

中山一徳(3代) – 中山よしを(2代)について

- 中山一徳(3代)の経歴と功績 中山一徳(3代)は、1939年に初代中山よしおの長男として生まれ、幼い頃から父親のそばで落語を学びました。1957年に3代目中山一徳を襲名し、落語家として本格的に活動を開始しました。 中山一徳(3代)は、父親同様に古典落語を得意としており、特に人情噺には定評がありました。また、新作落語にも積極的に取り組み、現代社会を風刺した作品などを発表しました。 中山一徳(3代)は、落語家としてだけでなく、タレントとしても活躍しました。テレビやラジオに出演し、その軽快なトークで人気を集めました。また、映画やドラマにも出演し、俳優としても活躍しました。 中山一徳(3代)は、落語家として数多くの功績を残しました。1975年に落語協会の副会長に就任し、1985年には会長に就任しました。会長在任中は、落語の振興に尽力し、多くの落語家を育成しました。 中山一徳(3代)は、2010年に70歳で亡くなりましたが、その功績は今もなお語り継がれています。 ここでは、中山一徳(3代)の経歴と功績について、主なものをまとめてご紹介します。 * 1939年初代中山よしおの長男として生まれる * 1957年3代目中山一徳を襲名し、落語家として本格的に活動を開始 * 1975年落語協会の副会長に就任 * 1985年落語協会の会長に就任 * 2010年70歳で亡くなる 中山一徳(3代)は、父親譲りの才能と努力によって、落語界を代表する落語家として活躍しました。その功績は今もなお語り継がれており、多くの落語家に影響を与えています。