草香部漢彦

歴史上の人物

「三野小根」- 河内の人、雄略天皇23年星川皇子の乱に参加

豪族三野小根とは 三野小根は、5世紀後半の河内に存在した豪族である。雄略天皇23年(479年)に星川皇子の乱に参加し、皇子の死後は河内を平定した。 三野小根の出自は明らかではないが、河内国石川郡三野郷を本拠としたとされる。三野郷は、現在の大阪府高槻市に位置する。三野小根は、この地の豪族として勢力を拡大し、河内国造に任命された。 雄略天皇23年(479年)、三野小根は星川皇子の乱に参加した。星川皇子は、雄略天皇の異母弟で、皇位を継承する資格を持っていた。しかし、雄略天皇は星川皇子のことを疎んじ、皇位継承を認めなかった。 星川皇子は、雄略天皇の圧政に反発して挙兵し、河内国を占拠した。三野小根は、星川皇子の挙兵に応じて兵を挙げ、皇子の軍に加わった。 しかし、星川皇子の乱は失敗に終わり、星川皇子は戦死した。三野小根は、星川皇子の死後も河内で抵抗を続けたが、最終的には雄略天皇に降伏した。 雄略天皇は、三野小根の降伏を受け入れ、河内国造の地位を認めた。三野小根は、その後も河内国の豪族として勢力を維持し、河内の発展に貢献した。
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「草香部漢彦」

「草香部漢彦」 草香部漢彦とは 草香部漢彦(くさかべ の あやひと)は、奈良時代の貴族。官位は従五位上・右京大夫。 姓は宿禰のち朝臣。参議・草香部吉隠の子。母は美努王の娘。子に正六位上・大宰府少監・草香部宇多麿。 天平宝字2年(758年)正月、外従五位下に叙爵。同年3月に吉隠が没したため、翌天平宝字3年(759年)正月には従五位上に昇叙され、越前守に任ぜられた。 天平宝字7年(763年)3月に刑部大輔に任ぜられ、翌天平宝字8年(764年)正月には左京大夫に転じる。のち、称徳朝末の天平神護元年(765年)に正五位下に昇叙されている。 光仁朝に入ると、宝亀元年(770年)左京大夫のまま、右京大夫も兼ね、翌宝亀2年(771年)には従五位上に昇叙されている。宝亀4年(773年)正月、播磨守に任ぜられた。 宝亀6年(775年)11月4日卒去。享年54。最終官位は従五位上播磨守。