著書「平和の論理と戦争の論理」「市民主義の成立」

学術分野の人

ー久野収

小見出し 久野収の生涯 久野収(くの おさむ)は、1899年(明治32年)3月27日に熊本県上益城郡飯野村(現・美里町)に生まれた。父は久野兼吉、母はくみ。5人兄弟の末っ子で、幼い頃から身体が弱かったが、学業は優秀だった。 1917年(大正6年)、熊本県立第五中学校(現・熊本県立五木村高等学校)を卒業後、第五高等学校(現・熊本大学)に進学する。この頃、恩師である小倉金之助の影響を受け、ヨーロッパの思想や文化に興味を持つ。 1920年(大正9年)、東京帝国大学(現・東京大学)に進学し、文学部哲学科に入学する。大学では、三木清、田辺元、福田恆存ら、当時の日本の思想界を代表する学者の薫陶を受ける。 1924年(大正13年)、東京帝国大学を卒業し、恩師の小倉金之助が創立した、私立熊本大学(現・熊本学園大学)の予科に講師として赴任する。 1926年(昭和元年)、上京し、東京帝国大学大学院に入学する。この時期、マルクス経済学や精神医学を学び、1928年(昭和3年)に大学院を修了する。 1930年(昭和5年)、東京帝国大学法学部に助教授として着任する。 1933年(昭和8年)、『資本論入門』を刊行。この本は、マルクス経済学をわかりやすく解説したもので、大きな反響を呼んだ。 1935年(昭和10年)、プロレタリア文学を支援する『文芸戦線』を創刊する。この雑誌は、多くのプロレタリア文学作家の作品を発表し、大きな影響力を及ぼした。 1937年(昭和12年)、治安維持法違反の容疑で逮捕され、投獄される。 1940年(昭和15年)、治安維持法違反で起訴され、無期懲役の判決を受ける。 1946年(昭和21年)、恩赦により釈放される。 1947年(昭和22年)、参議院議員に当選する。 1948年(昭和23年)、日本共産党を離党する。 1950年(昭和25年)、参議院議員を辞任する。 1953年(昭和28年)、『世界資本主義論入門』を刊行。この本は、世界経済の構造と矛盾を分析したもので、大きな反響を呼んだ。 1957年(昭和32年)、日本評論社社長に就任する。 1958年(昭和33年)、脳出血で倒れ、半身不随となる。 1961年(昭和36年)、7月11日に死去。享年62。