藩命

歴史上の人物

幕末の武士の国司信濃(1842-1864)の生涯

-国司信濃の生い立ちと家督相続- 国司信濃は、1842年(天保13年)に信濃国(現在の長野県)松本藩の藩士、国司信政の長男として生まれました。幼名は万之助といい、幼い頃から聡明で武芸にも秀でていました。 1858年(安政5年)、17歳の時に父が亡くなり、家督を相続しました。藩主松平乗全(のりかた)に仕え、若くして藩政に参画するようになりました。 1861年(文久元年)、20歳の時に京都に上洛し、将軍徳川家茂に謁見しました。この時、家茂から「信濃」の諱を賜り、信濃と名乗るようになりました。 翌1862年(文久2年)、21歳の時に幕府の勘定奉行に任命されました。勘定奉行は、幕府の財政を管掌する重要な役職であり、信濃はその若さで抜擢されたことになります。 勘定奉行として、信濃は幕府の財政改革に取り組みました。しかし、幕府の財政はすでに破綻寸前であり、信濃の改革も焼け石に水でした。 1864年(元治元年)、23歳の時に病にかかり、江戸で亡くなりました。
学術分野の人

「片桐嘉保」-江戸時代中期の暦算家

-片桐嘉保の生涯- 片桐嘉保は、江戸時代中期の暦算家です。1720年に摂津国大阪に生まれ、1794年に京都で没しました。幼名は雪之助、通称は喜兵衛、号は有常です。 嘉保は、幼少の頃から算術に秀でており、14歳のときに京都に上京して、暦学を学びました。その後、1744年に江戸に出て、尾張藩の御用学者として仕えました。尾張藩では、藩主の徳川宗春に仕え、暦学や測量、測候などの仕事をしました。 1760年に、嘉保は尾張藩を辞して、京都に戻りました。京都では、私塾を開いて、暦学や数学を教えました。また、暦書や測量書など、多くの著作を執筆しました。 嘉保は、暦学の分野で多くの功績を残しました。特に、1765年に刊行した『暦象新書』は、江戸時代の暦学の代表的な著作の一つとして知られています。また、嘉保は、測量や測候の分野でも活躍し、日本の近代科学の発展に貢献しました。 嘉保は、1794年に京都で没しました。享年75歳でした。嘉保の墓は、京都市左京区の安楽寺にあります。