衛門

歴史上の人物

「江口正直」(?-1681)

-江口正直とは- 江口正直は、江戸時代初期に活躍した旗本であり、大名としての知行を得ることもなかった家臣の身分ながらも、徳川家康に仕えて数々の武功を挙げ、譜代大名に匹敵する格式と俸禄を得たことで知られています。 江口正直は、美濃国山県郡江口村に生まれたといわれています。生年は不詳ですが、1585(天正13)年に16歳で徳川家康に仕えたとされ、以降、関ヶ原の戦い、大坂夏の陣など、数多くの戦いで武功を挙げました。 1615(元和元)年に大坂夏の陣で功績を挙げ、江戸幕府が開府すると、徳川家康から500石の知行を与えられました。その後、1623(元和9)年には1000石の加増を受け、1629(寛永6)年には3000石の加増を受け、合計4500石の知行を得ました。 江口正直は、武功だけでなく、政治的手腕にも優れていました。1623(元和9)年には大坂城代に任命され、1632(寛永9)年には京都所司代に任命されました。京都所司代は、京都の治安維持と公家や寺社の統制を担う重要な役職であり、江口正直は、この職に就いて幕府の権威を高めることに貢献しました。 江口正直は、1681(天和元)年、88歳で亡くなりました。江口正直の死後、その功績を称えて、徳川家綱から1万石の知行が与えられました。江口正直は、譜代大名に匹敵する格式と俸禄を得た家臣の身分でありながら、幕府の重臣として活躍した人物でした。
歴史上の人物

長沢伴雄→ 江戸時代後期の武士と歌人

紀伊藩士としての人生 長沢伴雄は、紀伊藩士として活躍しました。若くして藩主の徳川吉宗に仕え、その側近として重用されました。吉宗の命で、和歌や俳諧などの文芸を学び、優れた歌人として知られるようになりました。また、吉宗の命で、紀伊藩の藩政改革にも参画し、その手腕を遺憾なく発揮しました。 伴雄は、紀伊藩の藩政改革において、財政改革や軍備強化などに取り組みました。これらの改革により、紀伊藩は財政的に安定し、軍備も強化されました。また、伴雄は、藩校の設立や、学問の奨励などにも尽力しました。これらの取り組みにより、紀伊藩は、文化・教育の面でも飛躍的な発展を遂げました。 伴雄は、紀伊藩士として、その才能を遺憾なく発揮し、藩政改革や文芸の発展などに大きく貢献しました。その功績は、現在でも高く評価されています。