表現の自由

学術分野の人

奥平康弘→ 憲法と表現の自由の擁護者

-# 思想と功績 奥平康弘は、日本の法学者であり、憲法学の大家であり、早稲田大学名誉教授である。憲法と表現の自由の擁護者として知られる。 奥平は、1929年に東京で生まれ、1952年に早稲田大学法学部を卒業した。その後、同大学院で学び、1956年に博士課程を修了した。1958年に早稲田大学法学部の専任講師となり、1961年に助教授、1965年に教授に昇進した。1995年に定年退職した後も、名誉教授として研究を続けている。 奥平の憲法学の研究は、表現の自由を巡る議論に大きな影響を与えた。奥平は、表現の自由は民主主義の根幹をなす権利であり、国家は表現の自由を最大限に保障する義務があると主張した。また、表現の自由は単に意見を表明する権利ではなく、情報を収集し、発信し、受ける権利も含むと主張した。 奥平の研究は、最高裁判所の判決にも影響を与えた。1986年の「島田事件」判決では、最高裁判所は、刑法230条(名誉毀損罪)の適用範囲を狭く解釈し、表現の自由を広く保障した。この判決は、奥平の研究を引用したものであり、奥平の研究が最高裁判所の判例に影響を与えたことを示している。 奥平は、憲法学の分野で数多くの著作を発表している。代表作には、『表現の自由の理論と実際』(1981年)、『憲法の理論と実際』(1987年)、『法治国家の原理と現実』(1995年)などがある。これらの著作は、憲法学の研究に大きな影響を与え、奥平は憲法学の大家として広く認められている。 奥平の功績は、憲法学の分野にとどまらない。奥平は、1993年に発足した「表現の自由を守る会」の初代会長を務め、表現の自由の擁護活動に積極的に取り組んだ。また、奥平は、2001年に発足した「日本学術会議」の第21期会長を務め、日本の学術の振興に尽力した。 奥平は、憲法と表現の自由の擁護者として、日本の法学の発展に大きな貢献をした。奥平の研究は、最高裁判所の判決に影響を与え、また、奥平の著作は、憲法学の研究に大きな影響を与えた。奥平の功績は、憲法学の分野にとどまらず、日本の学術の振興にも大きく貢献した。
学術分野の人

「五十嵐清」-日本の法学者

-経歴と功績- 五十嵐清は、1904年(明治37年)12月10日に、新潟県北蒲原郡水原村(現・阿賀野市)に生まれた。旧制新潟中学校(現新潟県立新潟高等学校)を経て、1924年(大正13年)に東京帝国大学法学部法律学科に入学する。在学中は、民法を専攻し、恩師の穂積重遠に師事した。 1928年(昭和3年)に東京帝国大学を卒業し、司法官試補として法曹界に入る。その後、判事、検察官、司法省刑事局長などを歴任し、1946年(昭和21年)に最高裁判所判事に任命される。 最高裁判所判事としては、民法、刑法、訴訟法など、幅広い分野で判決を執筆し、日本の法学の発展に大きな貢献をした。特に、1961年(昭和36年)に最高裁判所大法廷で言い渡された「昭和電工事件判決」では、不法行為による損害賠償の範囲について、画期的な判断を下した。 五十嵐は、1970年(昭和45年)に最高裁判所判事を退官し、その後は、法制審議会会長、日本学士院会員、日本民法学会会長などを歴任した。また、1976年(昭和51年)には、文化勲章を受章した。 五十嵐は、2002年(平成14年)3月19日に、97歳で逝去した。