進脩館

研究者

山川玉樵-江戸時代後期の儒者

山川玉樵の生涯 山川玉樵は、江戸時代後期に活躍した儒者です。1778年(安永7年)、肥前国(現在の佐賀県)に生まれます。名は嘉ూ、字は敏夫、号は本義園、玉樵と称しました。 玉樵は幼い頃から学問に勤しみ、19歳のときに江戸に出て、古賀精里に師事して儒学を学びます。その後、各地を遊歴しながら、各地の儒者と交流を深めました。 玉樵は、1810年(文化7年)には、江戸に私塾を開き、多くの弟子を育てました。また、多くの著書を残しており、その代表作である「本義園叢書」は、儒学の思想をわかりやすく解説したもので、多くの人に読まれました。 玉樵は、1850年(嘉永3年)に、73歳で亡くなりました。玉樵の死後、その弟子たちは、玉樵の教えを広めるために努力し、玉樵の思想は、日本の儒学の発展に大きな影響を与えました。 玉樵は、儒学の思想を広く普及させることに貢献した儒者として、今日でも高く評価されています。
歴史上の偉人

津田耕烟-幕末の武士-

津田耕烟の生涯 津田耕煙は、1824年(文政7年)に江戸で生まれた。父は加賀藩の武士であり、耕煙も幼い頃から剣術や弓術を学び、武道を極めた。1842年(天保13年)に藩命で江戸に留学し、蘭学や砲術を学んだ。1853年(嘉永6年)にペリーの来航があり、耕煙は幕府の軍艦奉行に任命され、ペリー艦隊と交渉した。1854年(安政元年)には日米和親条約の締結に尽力し、1858年(安政5年)には日米修好通商条約の締結に貢献した。 1860年(万延元年)に耕煙は幕府の兵部大輔に任命され、軍制改革や海軍の強化に取り組んだ。しかし、1868年(明治元年)に勃発した戊辰戦争では幕府軍が敗北し、耕煙も薩摩藩に降伏した。その後、耕煙は明治政府に出仕し、陸軍卿や海軍卿を歴任した。1900年(明治33年)に死去し、正四位勲二等に叙された。 耕煙は、幕末の激動の時代に活躍した武士であり、日本の近代化に貢献した人物である。彼の業績は、今日でも高く評価されている。
歴史上の偉人

大久保麑山 – 幕末から明治時代の武士と教育者

-大久保麑山の生涯- 大久保麑山(おおくぼかざん、1829年10月14日 - 1903年3月4日)は、幕末から明治時代の武士、教育者。 諱は貞明。通称は玄蕃、玄蕃允、美濃守。号は麑山、道堂。安政2年(1855年)、旗本寄合席に列し、以後、勘定奉行、外国奉行を歴任。慶応4年(1868年)、勘定奉行を罷免され、謹慎を命じられる。 明治元年(1868年)、謹慎を解かれ、新政府に出仕。大学南校(のちの東京大学)の教員となり、数学、物理学、天文学などを講じる。明治6年(1873年)、大学南校が東京大学と改称された後は、引き続き東京大学の教員を務める。明治15年(1882年)、東京大学を辞職。 明治17年(1884年)、学習院の教授となり、漢学、日本史などを講じる。明治23年(1890年)、学習院を辞職。明治26年(1893年)、日本学士院会員に選出される。明治36年(1903年)、死去。享年76。 大久保麑山は、幕末から明治にかけて、西洋の学問を日本に紹介し、近代日本の教育に大きく貢献した人物である。
歴史上の偉人

橋本塩巌-幕末-明治時代の儒者

-橋本塩巌の生涯- 橋本塩巌(1818-1892年)は、幕末から明治時代の儒者、漢詩人です。字は明府、号は鹽巌、滄洲ほか。 1818年、幕臣の浅羽周一(塩巌の祖父)の四男として江戸に生まれる。藩校の昌平黌(湯島聖堂)で儒学を學び家業の医師を継ぐ。1841年、24歳の時に昌平黌の教授となり、藩主の徳川斉昭に儒学を講じる。1853年、2月2日にロシア海軍のプチャーチンが浦賀に来航し、ペリー来航の前哨戦が勃発すると、塩巌は幕府の「異国船打払い令」を強く非難し、斉昭に開国を建言する。しかし、斉昭の開国論は幕府に容れられず、1855年に斉昭は隠居に追い込まれ、塩巌も失脚した。 塩巌は失脚後、各地を遊歴し、1868年に明治維新を迎えた。維新後は東京府の役人を務めた後、1872年に昌平黌の教授に再任され、1877年に昌平黌が廃校になるまで儒学を講じた。1888年に枢密院議長に就任し、1892年に死去した。 塩巌は、儒学の大家として知られ、多くの著作を残している。その中でも、『鹽巌先生文集』『鹽巌先生詩集』は代表的な作品である。塩巌の儒学は、朱子学を基盤とするが、陽明学や古学派の影響も受け、独自の思想を展開している。塩巌は、儒学を学問としてだけでなく、実生活に役立つ実践的な学問として捉えており、その思想は明治維新後の日本の教育に大きな影響を与えた。 塩巌は、また、漢詩人としても知られ、多くの漢詩を残している。塩巌の漢詩は、儒学の精神を反映したもので、その詩風は清新で飄逸である。塩巌の漢詩は、明治維新後に多くの漢詩人に影響を与え、日本の漢詩の発展に貢献した。