阿部正興

歴史上の人物

阿部正興(1) – 江戸時代前期の武士

-阿部正興の生涯- 阿部正興は、江戸時代前期の武士です。相模国大住郡田所村(現・神奈川県平塚市)の郷士・阿部重次の子として生まれました。正興は幼い頃から武道に励み、弓術と槍術に秀でていました。16歳で江戸に出て、旗本・小笠原信之の馬廻り組に加わりました。信之の死後は、その子・小笠原信重に仕えました。 信重の死後、正興は浪人となりましたが、1634年に徳川家光の旗本に召し抱えられ、100石を賜りました。翌年、大坂夏の陣に従軍し、功績を挙げて200石を加増されました。1640年には、加賀藩主・前田利常に仕えました。利常に重用され、1000石の知行を与えられました。 1645年、正興は信濃国松本藩の初代藩主となりました。藩政を改革し、領民に慕われました。1651年には、越後国高田藩に転封となりました。高田藩でも、藩政改革を行い、領民の生活を改善しました。 1657年、正興は老中に出世しました。老中として、江戸幕府の政治を担いました。1661年には、京都所司代の職に就きました。京都所司代として、皇室や公家の警護にあたりました。 1666年、正興は72歳で死去しました。 正興は、武勇に優れ、藩政改革にも手腕を発揮した名君でした。また、老中や京都所司代として、江戸幕府の政治に携わり、幕府の安定に貢献しました。
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阿部正興(2)

- 阿部正興(2)の人物像 阿部正興(2)は、江戸時代中期の旗本で、阿部正勝の三男である。兄に正寿、正能、正定、正任、正久、正賀、正明、正安、正澄、正長、弟に正相、正紀、正甫、正春、正邦、正秋、正澄、正宣、正亭、正央、正蔵、正暄、正興(3)がいる。正室は阿部正永の娘、継室は堀田正春の娘、側室は阿部正春(三河国久留里藩主)の娘である。子は阿部正賀(正春養子)、阿部正蔵(加藤嘉明養子)、正行(正任養子)、正休、正信、正武、長女(中村正勝正室)、次女(生駒貞勝正室)、三女(安藤豊重正室)、四女(松平正孝継室)、五女(松平正甫正室)。 正興(2)は、寛永16年(1639年)に、阿部正勝と正室の徳川家康の養女・阿部正勝夫人(正勝の姉・亀姫)との間に、三男として生まれる。寛永19年(1642年)に兄・正寿が死去すると、その跡を継いで阿部家の家督を相続する。 正興(2)は、寛文4年(1664年)に、出羽国庄内藩の第2代藩主となる。藩政においては、領内の復興と安定に努め、新田開発や治水工事、産業振興に尽力する。また、儒学を奨励し、藩校の設置や藩士の子弟の教育に力を入れるなど、領内の文化振興にも貢献した。 正興(2)は、寛文11年(1671年)に、33歳の若さで死去する。その跡は、長男の正賀が継いだ。 正興(2)は、誠実で温厚な人柄で、領民から慕われていたという。また、学問を好み、和漢の書に通じていた。