二見甚郷 – 政治家、外交官
-二見甚郷の生い立ちと経歴-
二見甚郷は、1871年(明治4年)12月13日、三重県に生まれました。幼少期は東京で過ごし、慶應義塾大学卒業後に外務省に入省しました。その後、ドイツとフランスに留学し、帰国後は外務省参事官や公使などを歴任しました。
1920年(大正9年)、49歳で外務大臣に就任しました。外務大臣としては、ワシントン会議に出席し、日本が列強と協調していく方針を打ち出しました。また、日ソ基本条約を締結し、日ソ関係の改善を図りました。
1923年(大正12年)、52歳で韓国総督に就任しました。韓国総督としては、朝鮮人の教育や産業の発展に努めましたが、日本統治への抵抗運動の高まりを抑えることができず、1929年(昭和4年)に辞任しました。
その後、二見甚郷は、貴族院議員や枢密顧問官などを歴任しました。1946年(昭和21年)、74歳で死去しました。