二条為明 – 鎌倉-南北朝時代の公卿・歌人
二条為明の生涯
二条為明は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した公卿・歌人です。二条家の嫡男として生まれ、幼少の頃から歌を学び、16歳の時に従三位に叙せられました。その後、参議、権中納言、権大納言を歴任し、後醍醐天皇の治世には左大臣にまで昇進しました。しかし、南北朝時代になると、後醍醐天皇の皇子である後村上天皇と、後醍醐天皇の弟である護良親王が争うようになり、二条為明もこの争いに巻き込まれました。
二条為明は、当初は後村上天皇を支持していましたが、後に護良親王に寝返りました。しかし、護良親王は足利尊氏に敗れ、二条為明も捕らえられて鎌倉に送られました。その後、建武の乱が終結すると、二条為明は赦免されて京都に戻り、歌壇で活躍するようになりました。そして、60歳の時に薨去しました。
二条為明は、和歌に優れ、勅撰和歌集に多く入選しています。また、歌論書『樵談治要』を著し、歌論家としても知られています。