官吏、実業家 – 末光源蔵
- 末光源蔵の経歴
末光源蔵は、1863年(文久3年)9月14日、土佐国高知城下(現・高知県高知市)に、土佐藩士・末光音源の四男として生まれた。
幼名は音重郎。兄に末光鉄太郎、弟に末光弥太郎がいる。
1873年(明治6年)に高知小学校に入学。
1876年(明治9年)に上京し、旧土佐藩主山内容堂の屋敷に寄宿。
1877年(明治10年)に共立学校(現・開成高校)に入学。
1882年(明治15年)に共立学校を卒業し、官途に就く。
1882年(明治15年)に大蔵省に入省し、主税官となる。
1885年(明治18年)に欧米に出張し、金融制度を調査する。
1888年(明治21年)に帰国し、大蔵省主税局長となる。
1890年(明治23年)に大蔵次官に就任。
1892年(明治25年)に政界を引退し、実業家となる。
1893年(明治26年)に日本郵船株式会社の社長に就任。
1896年(明治29年)に日本銀行の総裁に就任。
1903年(明治36年)に日本銀行の総裁を辞任。
1903年(明治36年)に貴族院議員に勅選される。
1904年(明治37年)に日本産業銀行の総裁に就任。
1907年(明治40年)に日本産業銀行の総裁を辞任。
1908年(明治41年)に東京株式取引所の理事長に就任。
1910年(明治43年)に東京株式取引所の理事長を辞任。
1915年(大正4年)に死去。