画僧・義亮:江戸時代後期の画家と薬草学
-義亮の生涯とその作品-
江戸時代後期の、1779年に東京都八王子に生まれた画僧、義亮。彼の画業がいかに革新的なものだったかを探り、彼の作品やスケッチを残した自然界への深い関心について紹介します。
義亮の幼少期についてはあまり知られていませんが、14歳のときに仏門に入るまでの間、父親から絵画の基礎を学んだとされています。仏門に入ってからは、江戸の寺院で修行を積み、25歳のときに京都に上洛して、画僧、円山応挙の弟子である玉川如雲に師事しました。
玉川如雲の門下で、義亮は画力を磨き、やがて師を超えるほどの実力を持つようになりました。しかし、1811年に京都で起こった火事で、義亮のアトリエと作品の大部分が焼失してしまいます。この出来事を機に、義亮は京都を離れ、全国を旅して、スケッチを描きながら、自然界を深く研究するようになります。
義亮のスケッチは、写生に基づいて描かれたものであり、画僧の伝統的な画風とは一線を画していました。彼は、植物や動物の細部まで忠実に描き、それらの生息環境も克明に再現しました。この革新的な画風は、当時の画壇に衝撃を与え、義亮は数多くの弟子を持つようになりました。
義亮の代表作には、「花卉図巻」「草虫画巻」「禽獣画巻」などがあります。これらの作品は、彼の自然界への深い関心と、それを写生に基づいて忠実に描くという姿勢をよく表しています。
義亮は、1855年に東京で亡くなりました。彼の没後、彼の画風は多くの画家に受け継がれ、日本の画壇に大きな影響を与えました。